原発通信 203号2012/05/02発行
瀬戸内寂聴さん、「このままの日本を若者に渡せない」と ▶<大飯原発>89歳・寂聴さんらがハンスト 再稼働阻止訴え 例え夕方までとはいえ、89歳の寂聴さん、がんばってください。「再稼働を進める人たちは、自分のいる所には被害が来ないとでも思っているのか、とても不思議だ」(毎日新聞)、「90年生きてきて今ほど悪い日本はありません。このままの日本を若者に渡せない」(スポニチアネックス)と決意を見せてくれています。 いつから「下請想い」になったのか。下請けをダシにするな! ▶節電「努力では限界」 経済界、知事と意見交換で訴え 滋賀 【意見交換会には、嘉田知事と、県商工会議所連合会や滋賀経済同友会など県内6経済団体の役員ら6人、関電滋賀支店の和田野善明支店長ら担当者が参加した。 まず和田野支店長が今夏の電力不足の予測値を説明した。これに対し、経済界からは「中小企業で(工場操業を)夜間に移せば、人件費が高騰する」】 産経新聞らしい書き方ですが、読み方変えれば、何を言っているんだと思います。中小企業が操業を夜間に移した時、「人件費が高騰する」などといっていますが、だからといって、単価など上げないのが大企業。単価を上げてくれと言っても「それがなんなんだ」というのが大企業というものです。調子よく下請を使うことだけは変わらず、大企業にとっては痛くもかゆくもないことです。「中小想い」のポーズをとるなど卑怯者です。 川口商工会議所、がんばっています ▶値上げ合意、半数以下=企業向け料金、実施1カ月―東電 【値上げに対し、川口商工会議所(埼玉県川口市)は「優越的地位の乱用」として公正取引委員会に凍結を要請。東京都も「顧客軽視の体質」(猪瀬直樹副知事)と批判を強めており、波紋が収まる気配はない】 ▶東電値上げ国も責任 公取委申し入れの川口商議所会頭 【児玉会頭は平均17%の値上げについて「燃料費の負担増というが、コスト削減を見込むと10%で対応できるはず」と主張。「福島第一原発事故は国と東電の両方に責任があるのに、国は東電だけの責任にして、管内の企業につけを負わせている」と批判】 ワシントンへ行く前に言ったらどうなの ▶原発稼働ゼロも選択肢=今夏の電力ピーク時―野田首相 「(原発再稼働に)全く理解いただけないならば、(原発ゼロで夏を迎える)選択肢はある」と訪米中のワシントンで言ったとのことですが、当たり前の話で、これまた“人のせい”です。 何も起こらないと信じる「不思議の国ニッポン」 ▶原発立地 進まぬ防災 「まず再稼働だ」とばかりに、安全対策は「計画だけでもいい」等と言っているから、事態は全く進展しておらず、その間に起きたら全くお手上げという状況だということです。今日、瀬戸内さんらは経産省前でハンストに参加というニュースのなかで、「再稼働を進める人たちは、自分のいる所には被害が来ないとでも思っているのか、とても不思議だ」と言ったそうですが、まったくその通り、「不思議の国ニッポン」です。 【積極的に取り組む両県でも、資機材の整備は国費の活用を見込み「国の方針が決まらない現状では、資機材の整備はできない」。自治体独自の対応の限界も見える】と。 「津波はひどかったが、今年の方が2倍も3倍も苦しい。放射能問題さえ無ければ」 ▶福島第1原発:宮城で水揚げ自粛拡大 セシウム基準厳格化 「東京電力福島第1原発事故による放射性物質の影響がじわじわ広がっている」ことのようです。 【最高値でスズキ360ベクレル▽ヒラメ400ベクレルなど4種で100ベクレル超を検出し、県や県漁協は、海域を指定して4種の水揚げ自粛を決めた】 ▶週のはじめに考える それでも原子力か 東京新聞の社説です。武谷三男の本を引用し、「原発ではささいなミスがとんでもない惨事に結びつきかねない」と。そして、「大きく言えば人類の未来にかかわることなのです。新エネルギー開発や暮らしの見直しは、実は歴史を書き換えるような大事業なのです。そういう重大な岐路に私たちはいるのです」いいます。原発は、「大きく言わなくても」、「重大な岐路に」いるとの自覚を、リアリティをもって持ち続けなければいけません。 渡辺大熊町長、「原発が危ないというメッセージを発してしまう」?? ▶<福島原発>「緩衝地帯」大熊町長、復興相に懸念表明 【「緩衝地帯」を設ける構想について意見交換した。井戸川町長が一定の理解を示したのに対し、渡辺町長は「プラント(原発)が危ないというメッセージを発してしまう」と帰還を求める住民の不安や、風評被害への懸念を表明。同原発が立地する両町の意見が分かれた】そうです。 大熊町には大熊町の言い分はあるのでしょう。しかし、大熊町の「情報」に接するたびに思うのです。原発事故というものをどのように考えているのか。リアリティをもって現実・事実を見つめ、責任をどう追及し、町をどうするのかという点が“よく”見えません。渡辺町長の発言はいつもそうです。 ▶記者の目:原発汚染土壌の中間貯蔵施設問題=袴田貴行 【同県内では、除染により放射性物質に汚染された土壌などの廃棄物が1500万~3100万立方メートル発生すると見積もられている。国の計画では、除染で生じた汚染廃棄物は仮置き場に集められ、その後3年程度で中間貯蔵施設に搬入。県外で最終処分するまで最長30年間保管する。施設の敷地面積は最大5平方キロ、容量は最大2800万立方メートル(東京ドーム約23杯分)だ】 河野太郎ブログ「ごまめの歯ぎしり」から3本 下手な新聞読むよりは、経産省とのやり取り、リアリティがあります。長いので、同ブログにアクセスしてください。 ▶電力料金の引き上げを求める前に東京電力がとるべき行動に関する第三回質問主意書への答弁書 2012年05月02日 02:18 ▶原発再稼働についての細野大臣の発言等に関する質問主意書への答弁書 2012年04月29日 00:21 ▶東京電力の使用済み核燃料の再処理に係る費用に関する質問主意書への答弁書 2012年04月28日 00:04 「守秘義務があるので答えられない」のオンパレードです。 ▶ヨルダン原発建設、三菱重工+アレバと、ロシアの争い ヨルダン原子力委員会、上記2社に優先交渉権与えると発表とのこと。共同電です。 第14回 ドイツからの脱原発情報──〈エコ団地〉カッセル市の取り組み(その2) 5.「私たちは、日本から多くのものを学びました」 「あばら家」にこそ断熱効果あり 〈エコ・ハウス〉、あるいは〈エコ・団地〉と書けば、大掛かりな団地建設のように聞こえますが、実際は、全部で15棟です。 初めてこの団地を見たときは、「昔、日本のどこかで見かけた風景だな」という印象がして懐かしかったです。まわりが自然に囲まれ、控えめな家並み。しかし、瓦葺でないところが一つ違っていました。ドイツ的な要塞のような頑丈で威圧的な建物を想像していただけに、なんだかはぐらかされたような気がしたものです。「どこがエコか?」とも思いました。そんなものなら日本に昔からいっぱいあったはずだ、と。 このエコ・ハウスを設計した一人である女性建築家が、日本からの視察団を前にして、「私たちは、日本の伝統的な建築様式から実に多くのものを学びました。視察していただくことは大変嬉しいのですが、皆さんのまわりには、もっとたくさんのいいものがあるはずですよ」と話されているのを聞きながら、私は納得した次第です。ここには、他にインド、アフリカの建築学を専攻されている教授が建てた家もあります。 共通しているのは、湿気予防、断熱効果です。カビ問題―アレルギー―健康管理―暖房費用が一つのテーマに浮かび上がってきます。たとえば、日本の土蔵。湿気の高い夏に蔵に入ればヒヤーと涼しくて汗が直ぐに引きました。またインド、アフリカ、アラブの国を旅行していて、簡単な土造りの家に招かれれば、夏には砂漠の灼熱から隔離され、冬には寒気から守られているのがわかります。壁に粘土を使っているからです。 日本では「土壁」というのでしょうか。エコ・ハウスの場合は、その上に日本の家屋と同じように木板が貼り付けてあります。年々この木板が雨ざらしで黒ずんできているので、「張り替えなければならないですね。何年もつのですか」と質問したら、彼女、「日本のお寺は、何年もっていますか」と言い返されました。ドイツの家の建築に当たっては、伝統的に100年単位でものを考えると言います。それに耐える設計はしてあると言うのです。 屋根が瓦葺ではなく、草葺というか、屋根に土をのっけてそこに自然の雑草が繁殖しています。〈屋根の緑化〉といいます。瓦は、日本では富の象徴ではなかったでしょうか。そこに雑草が生い茂っているわけですから、日本的な感覚では、あばら家=貧乏を象徴するような〈ペンペン草〉の印象が免れません。が、断熱に効果があるといいます。 たとえば、屋根裏部屋。学生に人気があり、また小説、映画、オペラのモチーフにもなります。ところが夏には蒸し風呂、冬には冷蔵庫のようになります。しかし、屋根を断熱することによって、快適な部屋に様変わりします。これによって、暖房費は少なくとも20%前後は節約できるといわれています。インド、アフリカの建築用法をモデルにした教授の家は、なんと50%。各棟にサン・ルームも採り入れられ、日中暖められた空気が、各部屋に取り込めるように工夫してあります。ガラス窓を多用してあるのも同じ理由からです。 また、雨水の再利用、素材のリサイクリングも家屋建設とともに日常生活に定着するようになりました。 どれもこれも、特別なことではありません。自然と人間生活の共生から始まり、家屋建設のコスト減、エネルギー節約をどう実現するかと考えて、行き着いた結論といえるでしょう。 ドイツの脱原発運動の社会・思想基盤がここに エコロジー、環境共生ということで、森の中、自然のなかに団地をつくることも考えられます。しかし、それは彼(女)たちの基本的な考え方に合わないと言います。そうすれば、インフラを整備し、もともとの自然を破壊しなければなりません。また社会的な機能が満たされません。学校、仕事、買い物、教会、友人関係等々、社会的要素と関係が成立しないで孤立していきます。 他方で、新しいテクノロジーの導入も考えられますが、それだけではエコロジーではないとも言います。 エコロジーというのは、結局は、「自然と人間の共生哲学ですよ」と言うのが、彼(女)たちの基本的な立場になります。これまでの都市計画、再開発はお金にものをいわせ、機械、テクノジーを総動員して自然を破壊することによって成立してきました。世界に共通だったでしょう。経済の採算性が重視され、そこでは人間の健康は顧みられることもなく、有害物質が撒き散らされてきました。その対立概念としてのエコロジーは、それゆえに理念に止まることはできず、社会の現実的なモデルを要請されました。こうして実現されたのが、カッセルのエコロジー団地といっていいでしょう。 〈エコ・ハウス〉の実現に関しては、ドイツが一つのモデルにはなりますが、それをそのまま日本で造ることは考えられません。地質、気候条件が異なるからです。彼女の強調される点です。決して教条的でないところが、ドイツ全国に波及していった大きな要因だと思います。 ここで採用された一つひとつの要素は、今日では、各家庭でも抵抗なく採用され、一般的な社会認識にまでなっています。それ以降のドイツのエコ・ハウスは、こうして多彩で変化に富んでいます。 チェルノブイリの原発事故が1986年ですから、ドイツでは原発の要らないエネルギー生活の下地がすでにできていたことになります。私は、反―脱原発運動の社会・思想基盤をここに見ます。 それに対して、こうした点での立ち遅れがフランスの現状ではないかと思っています。ドイツの研究家が、日本の脱原発から自然エネルギーへの転換に大きな期待を持つのは、日本が地質的な条件(海と風)に恵まれ、伝統的な意識と、古くから培われてきた技術と最新のテクノロジーを持っているからにほかなりません。 本項の最後に、エコロジーをめぐる世代間の問題意識のズレを紹介しておきます。エコ・ハウスに住んでいる16歳ぐらいの女生徒がいます。さりげなく、「どう、快適?」と話しかけたら、「あまり、好きではないね」と答えていました。これ以上追求はできなかったのですが、世代の価値観にしたがって、今後もいろいろな方向に変化していくと思います。それが生命力であるように思われます。(つづく) | ||