原発通信 210号2012/05/15発行
今日5月15日は沖縄返還の日。あれから40年です。 1972年5月15日に沖縄施政権が日本に返還されてから今日で40年です。今朝のNHKラジオ深夜便に「明日へのことば 本土復帰40年、明日の沖縄を信じて(1)」と題して、大田平和総合研究所主宰の大田昌秀・元沖縄県知事が出ていました。 1フィート運動のことや、鉄血勤皇隊での経験、なぜ英語を学ぶようになったのかなどを語っていました。そして、本土の人は、沖縄の経済は米軍基地に依存していると思っているが、確かに1960年までは軍関係で働いている人は5万人、県に占める経済割合は54%前後だった。返還後は急激に減り、現在は9000人、県経済に占める割合は4~5%弱だといっていました。現在、多くは観光産業であると。 知事就任後の基地返還交渉についても、橋本首相との話などを絡めながら、普天間をまず最初に返還してほしいと提案したということです。他にも米軍再編・海兵隊グアム移転の話など興味深い内容でした(後日、インターネットでも聞けますので関心のある方はどうぞ)。 その前日の14日付毎日新聞には、保坂正康さんが「昭和史のかたち」という連載記事のなかで、二つの大学で講師を務めた経験からこんなことを書いていました。「ある時期から学生の多くが日本史(特に近代日本の通史)の知識に著しくかけることに気づいた」と。しかし、この話はは別に目新しいことではないです。「ある時期から」と保坂さんは書いていますが、戦後学校教育では近代日本の通史など、習ったことがある人を探す方が難しいと私は感じています。アメリカと戦争をしたのだということを知らない若者がいるなど、ことあるごとに言われています。8月15日正午、甲子園では高校野球児が黙祷をしますが、どれだけ歴史を知ってのことか心許ないところがあります。 私事でいえば、沖縄の基地問題を知り、学び始めたのが高校の文化祭で展示を行ったことがきっかけでした。1968年のことです。そして、1971年沖縄返還協定調印阻止闘争と続きました。この間、沖縄闘争をめぐって沖縄解放派と返・奪還派とに分裂するということもありました。 そんな“現実”をくぐり抜けてきた「沖縄」がいまあります。40年という歳月を感じざるをえません。「自虐史観」という言い方があります。日本人が自国の歴史の負の部分をことさら強調するようになったのは、戦後、日教組が行なってきた歴史教育の結果だと「右派」の人たちは声高に言います。しかし、思うのです。日教組の教員がそれほど日本の現代史(戦後史)を教えていたのかと。教科書には書かれていますが、入試には出ないからと、多くの生徒は幕末・明治維新・明治時代までしか習っていないと思います。つまり、日教組の教員も含めて学校教育ではやっていない・教えていない(時間がなかったということも含めて)のです。「自虐史観だ」と騒ぐ根拠そのものが成立しないのです。残念ながら、だから沖縄のことも、戦争のことも知らない若者(もう若者とはとうに言えなくなった世代も)が存在しているのです。 別のニュース番組では、故小渕元首相がサミットを沖縄で開催することにこだわったわけを流していました。その娘である小渕優子のインタビューが意味深でした。「沖縄」を知らない世代が議員になり、沖縄問題は「地域の問題」ととらえている議員が増えてきていると笑い顔で答えていました。 その歴史を隠ぺいしつつ、中曽根康弘、正力松太郎の旗振りで「原子力の平和利用」といって登場してきたのが原発だったのです。 ▼本日は投稿2本掲載 連載のドイツ通信第15回「原発は戦争、代替エネルギーは平和の象徴」と、「住民投票と日本型ファシズムとの戦い―地域自治の戦いが勝負となる!」と題した鳥羽幹雄さんからの投稿を一挙掲載します。 〽あとはどうにかなるもんさ、と東電・勝俣恒久会長 国会事故調で「知らぬ存ぜぬ」を通す ▶<福島第1原発>事故直後の菅氏の対応批判 東電会長 東京電力の勝俣恒久会長は、国会事故調査委員会(委員長、黒川清・元日本学術会議会長)の聞き取りで、【事故翌日に吉田昌郎前所長が菅直人前首相の原発視察の対応に時間を取られたことについて「所長は事故復旧に全力を尽くすべきだ。あまり芳しいことではない」と述べ、菅氏の対応を批判した】【菅氏が視察後も吉田氏と携帯電話で直接やりとりしていたことにも不快感を示し】、しかし、自己アピールは忘れず、【「全部ではないが私にも対応は可能だった」】と。毎日新聞はこれだけでしたが、ネットでは、以下の記事も。 ▶東電会長「安全対策ほとんど機能せず」 勝俣会長、「安全対策がほとんど機能せず、反省すべき課題が多々ある」。全員退避させたいと官邸に伝えたと報じられたことについては、「全く事実でない」と繰り返し述べて強く否定。そして、事故の根幹にかかわること、電源喪失、非常用電源の件では、「電源喪失のリスクを伝える2006年の原子力安全・保安院からの文書が社内伝達のミスで経営陣に伝わっていなかった」と、涼しい顔つきで、人(部下)のせいです。この件については、下記記事田中隆作氏がまとめていますので、ご覧ください。 ▶【国会事故調】 勝俣・東電会長 官邸と部下に責任なすりつけ 【先ず「知らない」とシラを切り、事実を突きつけられると「今後の課題」などと言ってかわす。勝俣会長の巧妙なところだ】 【責任回避も天下一品である。追及されると勝俣氏は「その責任は(原子力事業)本部長」「それは発電所長」「それは社長」と臆面もなく答えた】 【そのくせ事故当時の菅政権の対応を批判した。勝俣会長は「官邸がダイレクトに(福島第一原発の)吉田所長に連絡するのは好ましくない」と言ってのけたのである)】 たまりかねた福島代表の蜂須賀禮子委員(大熊町商工会長)がマイクをつかんだ。 【「あなたはどこの会長ですか?…(中略)…“何の責任もないよ”“僕は関係ないよ”としか聞こえない。我々に対する賠償もノラリクラリとかわした。どうして“僕の責任です”と言えないのか。会長を辞めたらどうですか?」】と追及されても、カエルの顔に何とやらではありませんが、「はい、今度の株主総会で退任します」だと。 こういう神経を持ち合わせていないと、大企業のトップにはなれないのでしょう。 ▶国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(過去の映像もあります) http://www.naiic.jp/blog/2012/05/15/12thcomment/ ▶「再稼働ばかげている」 脱原発首長会議 経産副大臣に迫る 【「脱原発をめざす首長会議」の村上達也・茨城県東海村長、三上元(はじめ)・静岡県湖西市長らが十四日、経済産業省で柳沢光美副大臣と会談し、設立会合で可決した決議文を手渡して脱原発に向けた取り組みを求めた】 【村上村長は、再稼働や電気料金値上げを推進する官財界の動きを「国民と遊離すると思う。なし崩し的に再稼働というばかげたことをやれば(日本は)第二、第三の敗戦になる」と批判】 ▶超党派議員が抗議した「経産省エネ調」 原発新設の不思議 【超党派の国会議員から成る『原発ゼロの会』が8日、牧野聖修・経産副大臣に同委員会の運営の改善を求めると共に『国会エネ調』の設置を要求】 「総合資源エネルギー調査会基本問題委員会」の委員長は、原子力村と濃い縁戚関係にあたる新日鉄会長の三村明夫氏。【三村氏の議事進行がまたエグイ。「原発依存度を0%に」とする委員が8人いてもあしらう一方で、たった1人の委員が主張する「依存度35%」を重要視するのである】 ここ、確か非常用ディーゼル車発電機(車)のあるところでは? ▶大飯原発近くの斜面が崩落の恐れ 関電解析、14年度に工事へ 北海道新聞05/14 20:37、05/14 22:18 更新 【関西電力大飯原発1、2号機(福井県)の近くにある斜面が地震で崩落する可能性を否定できないとする関電の解析結果を明らかにした。関電は崩落防止のため、表面の一部を削り取る工事を2014年度に始めるという】 そこって、確か電源喪失に備えて配置した非常用ディーゼル車発電機(車)のあるところでは? 写真を見た方ならお分かりかと思いますが、1~4号機すべて背後は切り立った崖です。それが崩れる可能性ありと。工事が済むまで崩れないという保証は? ▶浜岡原発再稼働:150キロ圏8都県調査で慎重論が大勢 【毎日新聞のアンケートで分かった。東京都を除く7知事が、再稼働には「周辺自治体の合意」などの課題があると指摘】 (以下引用) 黒岩知事(神奈川) 活断層の上に立地する点も考慮し、十分な安全性がない限り再稼働は難しい 横内知事(山 梨) 津波だけでなく、地震なども含めた安全基準の見直しと地元の理解が必要 川勝知事(静 岡) 県独自に安全性と経済合理性を検証することとし、当面、運転再開を認めない 阿部知事(長 野) 事故の影響を受ける恐れのある自治体の合意を得るべきだ。現時点で判断できない 大村知事(愛 知) 国と中部電力が地元住民や関係自治体などに十分説明し、理解を得た上で議論 古田知事(岐 阜) 地元をはじめ国民全体に丁寧な説明がなされることが大前提 鈴木知事(三 重) 原発の安全性と必要性の説明が不十分。極めて慎重に判断されるべきだ】 だそうですが、愛知の大村知事、「理解を得た上で議論」だと。自分では判断しない人です。 ▶浜岡原発:海江田元経産相「再稼働非常に難しい」 【政府は昨年5月6日に中部電に対し停止を要請。それに先立つ5日に海江田元経産相は浜岡原発を初めて訪れた。「海岸の砂丘が一種の防潮堤になると説明を受けたが、素人でも防潮堤の役割は果たせないと思った」と】【最大21メートルの想定津波高が今年3月に示されたことを「衝撃的だった」と語り、「状況は変わってきた。『確約』に影響が出るのは当然だ」と述べ、「中部電の経営陣がどう考えるかだが(再稼働への)環境は非常に厳しいのは確かだ」と指摘】 「状況が変わった」と、それはそうなんですけど、玄海はどうなんですか。あの時と「状況が変わっていない」? 活断層の問題、津波での全電源喪失など以前からの指摘次々と明らかに 渡辺教授「これは学術調査ではなく、安全性の議論。すぐに廃炉にすべきだ」 ▶<敦賀原発>破砕帯の危険性08年から指摘 【原電は敷地内5カ所で新たに掘削し、「活断層ではないという従来主張の説得力を上げる」との姿勢だが、活断層を否定する証拠がないと、同原発の再稼働は困難になる】 【そもそも、敦賀原発敷地内を通る破砕帯の存在は、1966年に設置が許可された1号機の原子炉設置許可申請書にも記されている】 【ところが、91年に浦底断層の存在が明らかに。当初は長さ約3キロとされたが、後に複数の断層が延長線上に発見。つながって活動する危険性が指摘されたが、原電が25キロの活断層と認めたのは08年3月だった】 【渡辺満久東洋大教授、現地を見れば簡単に分かることをなぜ長期間しなかったのか。これは学術調査ではなく、安全性の議論。すぐに廃炉にすべきだ」と指摘】 ところで、現行法に廃炉命令規定はないとのことです。 ▶<保安院>全電源喪失の恐れ スマトラ受け東電に指摘 【経済産業省原子力安全・保安院が06年、04年のスマトラ沖大地震を受け、原発が津波で全電源喪失する恐れを東京電力に指摘していたことが分かった。その後、保安院は津波対策を電力会社に徹底させておらず、東電もこの指摘を生かしていなかった。】 ▶泊稼働 専門委で判断も 政府要請の独自検証へ道が検討 北海道新聞05/10 08:37、05/10 08:43 更新 国が、再稼働へ判断した場合、【道独自に安全性を検証するため、専門家からの意見聴取も検討していく方針を明らかにした】そうですが、そもそも専門家って誰? ▶東電が6月からの新役員発表 11人中7人が社外、数土文夫NHK経営委員長や樫谷隆夫・公認会計士ら 【7人が社外取締役で、社内からは社長になる廣瀬直己常務ら4人にとどまる】 ▶東電新役員に経団連からゼロ 米倉会長ぶ然 【東電の社外取締役枠は当初、経済3団体のうち経済産業省の直系の日商を除いて「経団連2、同友会1」(政府筋)だった。ゼロに終わった経団連は「感想なんてとくにない」(米倉弘昌会長)とぶぜんとした表情】だったと。 第15回 原発は戦争、代替エネルギーは平和の象徴 6. つい最近、日本に2週間近く行っていた博士論文を書いている学生に会って、 日本の話を聞く機会がありました。彼が日本で驚いたのは、新幹線等で移動していて、一つの町が次の町まで途切れることなく繋がっていることです。町と町の境目がないというのです。ドイツでは、どうでしょうか。中規模の町でさえ、10分か15分も車で走ればもう郊外に出て、そこでは辺り一面に平原や森林が見られます。それを見ながら次の町に向かいます。この違いは、しかし、ドイツと日本の代替エネルギーを考えるうえで、大きな違いになってくるように思われます。 アウトバーンを走っていると、近年、左右に風力発電の鉄塔があちこちに見られるようになりました。風車がクルクルと回っています。今ではなんともない風景ですが、建設が広がり始めた当初は、その技術の成果に 「スゴイ!」と思わず固唾を飲んだものです。いろんな反対意見がありました。「自然の景観を損なってしまう!」「周辺住居地の地価が下がってしまう!」「風車の騒音が高い!」など。しかし、建設の進行を不安にさせるような技術的な議論は、私の見落としか知れませんが、聞いたことがありません。 現在は、北海に大きな風力エネルギー公園の開発が進められていて、ここから全ドイツにどのように電気を供給するのかというのが、むしろ議論の中心になっているように思われます。高架線を使わなければなりませんから、その建設予定地で反対が出てきます。先頭に立っているのが「緑の党」と聞いています。これらは決して代替エネルギー自身の問題ではなくて、その運用をめぐる社会再編の問題でしょう。その意味では、エネルギー政策は、農産業、市民生活を根本的に変えていくといえるでしょう。 ドイツは、脱原発から確実に新しい社会に変わりつつあるように思います。また、そこには必ず、市民、住民の議論、賛否両意見のあるのも事実です。 南北に細長く伸びた島国、周囲を海に囲まれた日本では、こうした風力電気の供給で、ドイツのような問題は出てこないように思われるのです。エネルギーの中央集権化が、代替エネルギー開発を遅らせている最大の原因であるのでしょう。 ゲッチンゲンの近くに、農家から堆肥を集めて醗酵させ、その過程で出てくる熱を利用して電気を生産している村があります。何回か見学させてもらいました。私の素人感覚では、「堆肥から電気なんて……」と最早、想像の域を越えているのですが、実際に何年も前から稼動しています。小さな村です。住民数は、1500人くらいでしたか。詳しいことはわかりません。こじんまりとした敷地にその設備は建てられ、そこに各農家が堆肥を運んできます。買取りになっているはずですから、経済性も考慮され、そこから電力を配給してもらう仕組みになっています。余剰の電気があれば電力会社に売ることもできるといいます。 ドイツの代替エネルギー事業で、いくつか気づいた点をあげてみます。 ①住民参加の共同事業になっていることです。住民の合意のないところに、こうしたエネルギー政策は実現していません。「住民の合意」といえば、確かに原発も「(買われた)合意」を取り付けられていますが、しかし、最も必要な住民の決定権はありません。事業体での住民の決定権が、エネルギーと生活の民主的な運営を保障しているといえるでしょう。 ②それが可能なのは、地域の経済・社会活動として取り組まれているからです。自給自足というような原則が働き、そこでは相互に公正な利益配分を受けられるシステムが確立しています。結果は、地域の経済活性化に繋がります。 ③自分たちが計画し、決定し、経済生活を営む社会制度の存在は、そこに優秀な研究者、技術者、開発者を結集することになります。こうした共同体には、驚くべきほどの人材が参加して、技術、テクノジーの最新の開発が進んでいます。 ④だから、どこに行っても歓迎され、施設を隅々まで案内して詳しい話を聞かせてくれます。自分たちの成果を他人に知ってもらいたいのでしょう。それがまた、学問、研究の本来の意図であることが伝わってきます。 ⑤いろいろな施設、設備を見学させてもらって、私が一番感じるのは、地域全体が「平和で、長閑だな」との印象です。そこで仕事をする人たちは、本当に親しみがあります。威圧してくるものが見当たりません。自然に囲まれた地域生活を維持しながら、新しい社会に向かっていく意思が伝わってきます。その場合、ドイツの地理的な条件が大きな役割を果たしていると考えられます。 それに対して、原発はエネルギーの中央集権権力といえないでしょうか。要は、〈独占〉なのです。独占が「原発ムラ・マフィア」を生み出した背景でしょう。反対者を排除するためには、そこから独裁(制度)が不可避になります。また、独占の歴史が世界の分割戦を招いた歴史を知るなら、原発と戦争はメダルの裏表といえないでしょうか。 資本主義だけではありません。「社会主義」を自称したソヴィエトでも、「電力の中央集権化」が、結局はその後の独裁とテロと無関係ではないように思われます。 アラブ―イスラエルの戦争の歴史は基本的に資源問題です。それが現在の世界の政治紛争の根っこになっています。この問題に答えられるためにも、原発に対する立場をはっきりする必要があると、私はそれらの国々をまわりながら考えてきました。そのアラブでは、産油国でありながら、ソーラ設備による新しい代替エネルギーの開発が進んでいます。 ドイツの一つの例です。1990年代中期に軍事施設の平和利用が謳われ、軍事費が削減されると同時に、従来の軍事施設が公共住宅につくり替えられ、そこにはPassivhaus(注)が建てられてきました。 私は、ドイツの現状をバラ色に描くわけではありません。ただ、脱原発への過程と周辺背景を良く知っていただいて議論していただけたらと思い、これを書きました。 一つ間違いなく言えることは、原発は戦争であり、代替エネルギーは平和の象徴だということです。(つづく) (注)Passivhaus:断熱に留意した“建物” 。気密構造にし、家電を含めた暖房、冷房、給湯、換気、照明などのエネルギーをほとんどゼロに抑えてしまうシステムを備えた家。 住民投票と日本型ファシズムとの戦い 地域自治の戦いが勝負となる! 2012年5月10日 鳥羽 幹雄 目次 はじめに 1.日本の政治状況は、第一次大戦後のドイツに酷似 2.ファシズムとハシズムは下から 3.この国のかたち 4.我々も下から勝負 はじめに 4月17日、石原都知事は、ワシントンで突然に「沖縄県の尖閣列島を東京都が買い取る」と表明した。彼は、「東京都が尖閣を守る」と息巻いているが、領土を守ることが都知事の職責であろうか。明らかに越権行為である。穿った味方をすれば、この時期、排外主義を煽り、愛国心を借りて34万6,820筆集めた「原発都民投票」を煙にまく作戦かとも感じられた行動である。しかし、冷静に考えれば、領土問題は存在しないとする尖閣問題で、話を大きくすれば、それは、かえって、領土問題が存在することを認めるようなもので、広い意味で中国を有利にする。もし、そのことをわかってあえて事を荒立てているとしたら、アメリカの意向が働いている可能性がある。それは、沖縄返還問題に絡んでいるからである。 そもそも、尖閣は、中国が、かつて中華民国当時認めていた日本の領土であったが、米軍が沖縄を占領統治下に置いたときに、領有権が日本からアメリカに移り、米軍は、ご丁寧に地主から土地を借りて射爆用の演習場として使っていたのである。それを、返還時に協定書のなかで日本固有の領土として明示しなかった、アメリカ政府の明らかなミスであり、同時に、その当時交渉をしていた佐藤栄作元首相も、尖閣列島の領土問題など理解していなかったのであるから、重大な国民に対する背信行為であり、アメリカと同罪であった。そこから日本の領土として復帰したのかどうかあいまいなまま、今日の状態が続いているのである。 このような歴史的事実からして、本来ならば、尖閣問題は、沖縄の施政権返還時のアメリカに責任があるにもかかわらず、アメリカの代弁者である慎太郎が、わざと話を大きくして、アメリカの責任を隠しつつ、原発都民投票から愛国心へと話をそらす、一石二鳥の作戦であったと思われる。石原都知事は、こうした、問題の本質をずらし、自分に都合のよい政治的状況を演出しようとする危険な人物として見る必要がある。そして、その演出は、常に「余人をもって代え難い人」しかできない事柄としてなされる。この小細工が見破れれば、逆に彼のやっていること(政治的パフォーマンス)が大きな政治的障害になることが容易に理解できるはずである。 そこで、東京と大阪で行われた原発住民投票の前に立ちはだかる石原都知事と橋下大阪市長の深層を明らかにし、住民投票の意義を鮮明にしたい。そして、彼らが密かに、そして、半ば公然と共感しているヒトラーとナチ党の行動様式が、実は、彼らの行動の下敷きとなりシナリオにもなっていることを暴露し、住民投票を取り巻く、現下の日本の政治状況を分析俯瞰したいと考える。 1. 日本の政治状況は、第一次大戦後のドイツに酷似 まず、ドイツ帝国の崩壊からワイマール共和国の誕生、そして、ヒトラーの台頭までを簡単におさらいすることにする。近代ドイツでは、社会民主党(SPD)の存在を無視できず、ドイツ帝国と社会民主党はコインの裏と表のような関係にあった。具体的には、表の顔がビスマルクで、裏の顔がラッサールであった。実際、彼ら二人はお互いに好意を抱いていた事実も指摘されている。たしかに、ビスマルク時代の後半12年間は、「国家の敵、社会の敵」として弾圧されたが、ヴィルヘルム二世の時(1890年~1914年)に迫害の原因であった「社会主義者鎮圧法」を廃止し、1912年以降帝国議会で最強の政党になったのである。そこでは、勃興著しいブルジョワ階級を、貴族と労働者で抑えていたのがドイツ帝国の実相であった。 第一次世界大戦を契機に、1916年以降、陸軍最高司令部が事実上のドイツ政府となり、皇帝ヒンデンブルグ、宰相ルーデンドルフとなった。この軍部独裁が、連合国との敗戦の幕引きをどのようにすべきか、考えた末が、社会民主党に政権を引き受けさせることであった。自ら招いた敗北とはいえ、帝国の崩壊と同時に、キール軍港ではじまった、怒れる労働者・兵士の巨大な反乱の連鎖に恐怖し、カッセルにあった大本営から、軍部はグレーナー将軍を通じて社民党政府を操ろうとし、その犠牲となったのが、ローザ・ルクセンブルグとスパルタクス団の人々であった。社民党政府が軍部と結託してかつての同志を裏切ったことになる、この1919年1月の「血のベルリン」に怒った新たな労働者・兵士は共産党(KP)に結集し、他方、社民党は、多くの国民から信頼を失いその後、少数与党として、不安定な連立時代を迎えるが、右翼政党も議席を伸ばし1921年、ついにヒトラーがナチ党の指導者となった。 もともと、マルクスとエンゲルスが心血を注いで指導してきた社会民主党(SPD)は、階級政党であったが、同時に革命的愛国者の政党でもあったので、ドイツ帝国を近代的な民主国にするために、帝国内に宿った政党として運命づけられていた。にもかかわらず、肝心のときに、自分たちの広範な支持者を裏切り、軍部の極右勢力という悪魔(メフィストフェレス)と手を組んで、彼らの頭脳的宝を自ら打ち砕いてしまったのである。「宝」とは、ローザ・ルクセンブルグや、それに続く多くの労働者・市民たちのことである。これは、今日に至るも取り返しのつかない大失態(オウンゴール)であったのである。それ以降、周知のように社民党とドイツは地獄に落ちていくだけであった。 この落ち込んだドイツ社民党から学んで、「国盗り物語」に成功した人物がいた。一人は、ヒトラーであり、他方はレーニンであった。第三帝国とソビエトロシアの指導者である。共通しているのは「民主主義の全否定のために、それを最大限利用」したこと、そして「余人を持って代え難い人」に自らなったことであった。石原都知事、橋下大阪市長、小泉元総理が最も共感(シンパシー)を寄せる部分である。 次に、日本の政治状況であるが、よく識者やマスコミが、戦後の日本は、ドイツ(正確には西ドイツ)と似ている。あるいは、戦前はドイツと同じ軍国主義であったが、戦後の復興はドイツと同じに民主主義の発達が貢献しているとか、さまざま表現の違いがあるが、一貫しているのはドイツと同じ戦前と戦後という論法である。しかし、ドイツの戦前の歴史を簡単にみれば間違いは歴然としている。少なくとも日本は、ドイツと異なり、戦前、民主的国家あるいは、民主的社会ではなかったのである。そもそも、国の主権者は、天皇ただ一人であったし、封建的残滓はいたるところに残っており、何よりも天皇は、「現人神」であった。そして、その神のために死ぬことが日本国民の義務であったのが戦前の神国日本の実態であったのであるから、まったく両国は異なった戦前をすごしてきたのである。 むしろ、最近の民主党政権誕生後の政治的混迷と橋下大阪市長の登場の方が極めて1920年代から30年代にかけたドイツの政治状況と酷似している。それは、ドイツ社会民主党も日本の民主党も、歴史上、初めて国民の期待を受けて誕生した政権であったが、実は、旧体制と組んで国民を公然と裏切り、同じ仲間をドイツ社民党は、軍部と結託して殺害し、日本の民主党は、検察、そして、さらに検察審査会を利用して政治的社会的に葬り、かつ、その混乱に乗じてめっぽう「生きのいい独裁者」が突如登場してきたことなど、戦前のドイツ(第一次大戦後)と、戦後の日本のほうが共通点があると思える。最大の共通点は、ドイツも日本も民主主義を初めて体験したこと。そして、進んだ民主的憲法と、それを悪用する悪党の存在である。 2. ファシズムとハシズムは下から ワイマール時代のドイツの地方自治は、州(ラント)単位で構成されていて、ドイツ帝国時代の連邦諸国がもとになっており、強い自治権力を有していた。州は、三権(議会、行政、司法)を独自に有しており、独立国家のようであったので、ヒトラーは、彼のデビューの地、ミュンヘンのあるバイエルン州から攻略しようとしたのであった。しかし、これは、競合勢力であった左翼勢力から学んだ少数者の武装蜂起によって一挙的に権力を掌握しようとするものであったために、あっさりと鎮圧され、それが、有名な1923年のミュンヘン・クーデターであった。彼はそこで、逮捕されランツベルグ要塞に収監されたが、そこで、有名な『わが闘争』を書き、その後、合法的な政権奪取へと方向を転じるのであった。出獄後、失業者対策を兼ねて禁止されていた突撃隊を再建し、大衆運動と圧力団体双方を可能にする組織を全土に展開し、金持ちのユダヤ金融資本を攻撃しつつ、他方、労働者の戦いに共感を示し、KP(共産党)に協力して、ベルリンでは、市電ストライキに突撃隊が参加したりしたのであった。 当初、ヒトラーは、「みずからを単なる戦線兵士、民族の中から出た人間として描き政治的職業は基本的に嫌いで、職業政治家を『悪党』であるとみなしているが、諸般の事情からやむなく政治の舞台に登場して、無秩序が一掃された暁にはふたたび舞台を去ることが本当の関心であるとして、聴衆と支持者に感銘を与えた。」(ハンス・モゼム著『ヴァイマール共和国史』水声社158頁)という点が重要である。つまり、彼は、当時の環境が、彼に強いた役割の産物であり、それを直感的に感じ取りその役割を驚くべき名人芸で演じていたのであった。 このヒトラーとまったく同じ発言が、2012年2月18日付朝日新聞紙上の対談で、橋下大阪市長の口から出てきたのであった。すなわち、ヒトラーから学んだごとく、自分は、時期が来れば政治の舞台から引くと、次のように繰り返し話していたのである。 ――橋下さん自身は国政には? 「僕は国会議員になりません。公募で集めた維新塾のメンバーに期待しています」 ――なぜ? 「だって僕は市長だもん」 ――でもそれは4年間ですよね。 「もうそれで賞味期限切れですよ。自分でわかっています。自分の賞味期限切れすらわからない人物は、政治家をやったらだめですよ」 ――橋下さんが、みんなが嫌がることをあえていう理由はなんですか。 「政治家をずっとやろうと思っていないからです。維新の会のメンバーにも1期4年を合言葉にしよう、と。次の選挙を考えたら、有権者に嫌なことは言えないですよ。今の日本の状況で、国民に好かれることなんか何も言えません」 そして、この対談の冒頭で、朝日新聞社政治部次長らの「橋下さんは、『決定できる政治』をとなえています。リーダーの独善になりませんか」との質問に、何と!「政策を具体的に並べて政治家の裁量の範囲を狭くしたら、政治なんかできないですよ。選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」と言い放ったのである。これは、ヒトラーの「授権法」もしくは、「全権委任法」とまったく同じ思考である。驚くべきことに、議員や首長と国民との関係も基本的に契約であることがまったく理解できていないのである。ロックの「社会契約論」を持ち出すまでもなく、「無制限な委任」など法治国家では存在しない。 さて、バイエルン州ミュンヘンで失敗したナチが本格的な拠点にした自治体は、1930年のテューリンゲンであった。ここをナチの権力奪取戦術の試験場とした。ナチは、州政府に参加するにあたってまず、内相と国民教育相を要求したのであった。これは、警察機構と教育機関の掌握であり、橋下の労働組合の内部統制や教育条例とよく似ている。警察や内部統制は、恐怖による秩序を創出するためであり、教育は、若いうちに望ましい人間の鋳型に鋳直すのに必要だからである。こうして、ファシズムは基本的に地方自治から、すなわち下からやって来る。まさに「草の根」からであり、ある日突然天上から降ってくるものではないのである。 3. この国のかたち 月刊誌『正論』平成19年2月号掲載(産経新聞)の元バンクーバー総領事の多賀敏行氏の文章を素材として、本論旨の正しさを証明し、あわせて憲法と地方自治法の沿革を紹介してみたい。 多賀氏の文章の表題は、「『日本人は12歳』、マッカーサー発言の真意は侮蔑にあらず」というもので、まず、マッカーサーの第二次大戦のドイツと日本に対する発言を紹介し、次に自分の主張を述べている。以下要旨である。 マッカーサー曰く「ドイツは言うなれば確信犯で、冷徹に国益の損得勘定を考えてああゆう悪いことをやった。日本はそうではない。まだ国際社会に出て間がなくて、ちょっと道を踏み外してしまった。でも、自分が占領統治をして良い国になったのだから、大丈夫だ。日本はまだ12歳の少年でまだ教育可能で、覚えが早く優等生だ」と述べことに対して、多賀氏は、「今年もまた『憲法記念日が』がやってきます。この日には日本国憲法を世界に誇る平和憲法と賛美する声が一段と声高になります。そんなにすばらしい憲法が制定されてから60年余り経過しても、当のアメリカはもちろん、世界のあまた強国・弱小国・大国・小国の中で、ただの一カ国としてこれに追随する国がないのはなぜか、考えても見れば子供でもわかる理屈だと思います。マッカーサーが日本人を12歳の子供といったのは、アメリカは子供でも13歳になれば、このようなウソにはだまされないと言うことだと思います。『世界に誇る平和憲法』などという子供だましのウソが簡単に通用し、未だに広く信じられ、その施行を記念した憲法記念日が国民の祝日とされ、毎年国民が各種の記念行事を催しているのを見ると、日本人が精神年齢12歳と言われるのを的はずれと言い切れないのが残念でなりません。 まず、マッカーサーの発言から見てみると、「ドイツは言うなれば確信犯で」「日本はそうではない。ちょっと道を踏み外してしまった」。このフレーズが非常に重要である。ドイツは進んだ民主的憲法を持ち、そのなかから、ヒトラーが誕生したという意味で国民総意の「確信犯」であったということであり、他方日本は、近代国家といっても半封建主義的絶対天皇制国家であったので国民の意思など鴻毛より軽く、その命は、わずか一銭五厘でしかなかったのであるから、ドイツとは、明らかに違うといったのである。まさに、本論旨と同様に戦前のドイツと日本は明確に違っていたのである。マッカーサーの言からの証明であり、要するに、冒頭に述べたように、今の日本の政治状況は戦前のドイツとまったくとはいわないが、かなり酷似しているのである。 次に憲法についてであるが、「自分が占領統治をして良い国になった」とマッカーサーが言ったのは、まさに「平和憲法」を持ったからということに他ならないのである。マッカーサー総司令部は、現行憲法制定にあたって、日本の「非軍事化」と「民主化」が最優先課題としてあった。「非軍事化」は、9条によって結実し、「民主化」は、地方自治つまり、92条ないし95条によって明確化された。9条が、陸海軍省の解体であったと同様に地方自治では、内務省の解体であった。内務省の解体の意味するところは、警察と教育の民主化である。マッカーサーが次に「日本はまだ12歳の少年でまだ教育可能で、覚えが早く優等生だ」と言ったのは、この教育の民主化に希望を見出しての発言であった。しかも、ここには含みがあり、それは、地方自治制度と国政の統治システムの違い、制度設計の違いをよくみれば理解できることである。 国政は議院内閣制を採用し、地方自治はアメリカ近い首長制=大統領制を採用しているのは周知のとおりであるが、国政において議院内閣制を採用した理由は、天皇制をマッカーサーが占領統治において利用するために存置したことであったが、そのために、明治憲法の改正という形でしか新憲法を制定できなかった。その結果、地方自治のほうはより民主主義の進んだ統治形態となった。つまり、マッカーサーは、「12歳の少年」も地方自治で直接民主主義を学べば、20歳になるころには、国政が間接民主主義であっても立派にやっていけるであろうというのが真意であったと思われる。 多賀氏の「12歳の少年について」は「意味不明の理解」としか言いようがないが、それは、感情的に「平和憲法」憎しのあまり、自分に都合のいい言葉を利用しているにしかすぎない。 多賀氏に一言だけ言っておきたい。「アメリカは子供でも13歳になれば、このようなウソにはだまされないと言うことだと思います」と述べているが、アメリカでは、たしかに13歳ともなれば合衆国憲法を教わり、愛国心や国防意識も当然教わるが、多賀氏が意識的に『正論』の読者に、外しているかウソをついているか知らないが、合衆国憲法修正2条(1791年)には「よく訓練された民兵は、自由な州の安全にとって必要であるから武器を保持し携帯する人民の権利は侵害されてはならない」とある。つまり、13歳にもなれば、アメリカの子供は「人民には、武装抵抗権がある」という当然のことを知っているのである。他人を信用せず、すべて自己責任の社会であり、これが全米ライフル協会の主張が通る根拠となり、銃社会を存続せざるを得ないのである。 こうした日本社会とは、まったく異なる前提を無視して、単純に「平和憲法がウソだ!」というのは、「日本の読者」を騙す為の「ウソから成り立っている話」と言わざるを得ない。国防は、他人や他国を誠実に信頼して非武装中立で行くか、信頼できず武装するか、その場合、人民の武装をも保障しなければならないが、そのどちらかしかあり得ない。そこで、日本は理想をとったのであり、それは、当時も今も世界に誇れる憲法であり、小学生でも理解できることである。 そこで、憲法を最大限活用するには、実に地方自治であることがわかる。GHQは当初、立法・行政・司法の三権をもつ予定でいたが、内務省が猛烈に反対して自治体裁判所の構想は結局廃案となった。ちなみに、アメリカでは、人民主権を貫徹するためには、司法の独立を人民投票で保障しているので、州裁判官と州検事は選挙で選ばれているのである。日本の司法改革は、実は、これを恐れる司法官僚が、考え出した改革が、裁判員制度と検察審査会であった。あくまで人事は主権者に渡さずに官僚が官僚を選任する今のシステムを堅持したいのである。 アメリカは、9.11以降、愛国法により、予防検束や令状無き逮捕権など反民主な行政行為があるが、しかし、日本が同じように猿真似をして「秘密保持法」なる治安立法を成立させようとしているが、大いに問題である。アメリカがよい国とはいわないが、愛国法をも許せる人民主権に配慮した制度がある。それこそが、先ほどあげた、一つは、「人民の武装抵抗権」、次に「裁判官の公選制」、三番目には「検察官の公選制」である。日本では司法の独立において、そうした国民主権を担保するものは何もないのである。つまり、検察官の人事を国民が掌握しなければ治安立法は直ちに暗黒社会となるのは戦前と同じである。 しかし、日本国憲法15条では、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」3項で「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」となっており、司法、行政の公務員は、国民が選挙できることになっているが、事実上この規定は、意識的に無視されておりこの規定が利用されるのは、その2項「すべての公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」とする規定とあいまって、公務員の究極の使用者は国民であるとする結論から、公務員スト禁止に使われ、かつ労働三権の否定へと根拠づける規定となっているが、本来の憲法15条規定は、国民主権を貫徹するために、公務員は選挙で選べるとした規定である。 この趣旨に忠実であれば、本来、最高裁長官も検事総長も警視総監も判事も検事も選挙で選ぶことができるのである。公務員を選びそして罷免する権利を憲法で国民に保障しておきながら、学者も政治家もマスコミも無視しているのは、彼らが本当は、民主主義に反対だからである。一億人も国民がいて、憲法15条を知りながら、なぜ国の選挙で選べるのは「議員だけ」なのか? 誰も疑問にしないことのほうが怖いと思うが、いかがなものであろうか。一億人の「しかと」とは何であろうか。不気味である。「みんなで選ぼう!公務員!」これを次のスローガンとしたい。 4. 我々も下から勝負 住民投票が、なぜ重要かを今一度確認する必要がある。憲法92条の「地方自治の本旨」により制定されたのが、地方自治法である。地方自治には団体自治と、住民自治があり、この両輪が相まって地方自治が機能するのである。その住民自治のなかに直接請求という制度があり、これに則り条例制定をして行うのが、住民投票であり、法制度で認められた権利である。 国政と異なり、住民自治では、住民は、人を選ぶ投票のほかに、政策を選ぶ投票をも認められている。この点があまり知られていない。特別話題になったような地域でなくとも、どこの地域でもすべて認められている権利であり、住民自身の直接日常生活および健康・環境にかかわる問題であれば何でも政策を選ぶ権利が住民にはある。とりわけ今回の原発事故による原発再稼動の是非を自ら考え投票することは、ことのほか重要であり、政治家に任せてきた長年の結果が今回の福島事故につながっていたのであるからなおさらである。 しかし、住民自治を行き過ぎた民主主義として、早くから形骸化しようとしていた勢力が自民党のなかにいたのである。それが、自民党内の旧内務省グループであった。彼らの、主張は、住民自治は、「議会軽視である」とか「税金の無駄遣い」とか「二重行政」とかさまざまな言を弄して住民自治を無力化しようとしており、その集大成が、2008年4月24日に自民党国家戦略本部から公表された、「国家ビジョン策定委員会・政治体制改革プロジェクト」による中央省庁改革案である。そこでは、現在の1府11省体制を、内閣府、大蔵、環境、内務、法務、外交、国防の1府8省に再編するというものである。この内容は、戦前の中央集権的な地方自治を担った内務省が復活し防衛省を国防省にするといった現行平和憲法とまったく対立する構想となっている。 しかも、重要なのは、自民党政府による第4次地方制度調査会が、1957年に、地方自治を廃止して、中間的な性格を有する「地方」をおくとの答申をしたが、憲法に反するとして批判され実現しなかったが、これを受け、1963年、同第9次答申で、1.中央集権的な地方行政の統制の必要性、2.産業開発・経済開発の必要性から道州制・広域行政論が一体不可分のものとして主張され、その後、2008年、自民党道州制本部の「道州制に関する報告」「骨太の方針2008」と立て続けに「道州制ビジョン」の策定が求められたことの総仕上げとして出されたことである。 地方自治では、議員と首長との双方が選挙で選ばれる二元代表制=大統領制をとっており、そのために、首長には強力な議会に対する、拒否権があり、具体的には、地方自治法176条、177条の付再議権、さらに、179条の専決処分権といった、首長単独で議決と同じ効果をなす処分をすることができる。 この点に目をつけたのが、石原都知事であり、橋下大阪市長であった。しかし、間違ってもらっては困る。単独で首長に与えられた権利ではないのである。それは、住民にも、条例制定改廃請求権及び事務の監査請求権(同12条)議会の解散請求権、議員・長・委員の解職請求権及び教育委員の解職請求権(同13条)陳情(同109条)請願(同124条)など強力な政治的権利が認められているからのことである。 そのことが理解できていれば、軽々に、橋下大阪市長のように「住民投票は税金の無駄である。」などといえないはずである。そこが住民の無知に付け込んだ彼の汚いところである。しかし、それに屈することはできない。何としても住民投票を実現すべきである。ここで、住民自治の権利を放棄してしまったら、憲法の理念に反するのみならず、事実上の民主主義の自殺行為に加担することになる。 その理由は、明らかである。自民党旧内務省グループは、石原や橋下を使って、道州制を進め、場合によっては、大阪都構想をもオプションに入れて広域行政そして内務省の復活を目指そうとしているのであろうが、かつて、1930年代のドイツで、支配階級であったユンカー貴族のシュライヒャーやパーペンそしてヒンデンブルグまでもが失敗したように、真の独裁者は、「都合のいい駒」にはならないと言うことを、歴史から日本人はまだ学んでいないからである。(※民主主義は、面倒で、やっかいで、思い通りにならないが、最終的に、自ら自身を守る防波堤になる事を、階層を問わず理解していない!与えられた「民主主義」を抹殺する方向へと進んでいる!) 最後に、石原は、歳でもあるし野心は跡継ぎの心配程度であるが、橋下は、まだ未知数であるが、ヒトラーもそうであったが、彼に似た何人かの末に登場しているので、橋下以外に彼よりも演技力が優れた「スパースターX」が登場する可能性もある。そのとき日本国民は、ヒトラーのドイツのように、彼を操ろうとした黒幕を含めて共に地獄に堕ちることになる。それは、戦争とは限らない、次の巨大災害かもしれない。 (本稿のPDF版はこちらからダウンロードできます) | ||