原発通信 297号2012/09/15発行
9.14首相官邸前、霞が関抗議行動 昨日の抗議行動は、政府がエネルギー・環境会議を開き、「30年代の原発稼働ゼロ」目標を決定したということで、マスコミ各社が抗議行動に来ている人々に意見を求める姿が目につきました。が、例によって、読売新聞は見かけませんでしたが、来ていたのでしょうか。 次期自民党総裁選挙が始まったとかで、立候補した「強い日本」を志向する5人ですが、石破が言っていましたが「ここにいるみんなは、原発を減らしていくということには変わりない」と。素朴な疑問です、安全なら原発を手放さないとはっきり言えばいい。危ないということを承知しているからこそ、「今はできない」「将来は」などと枕詞をつけてはいるのでしょう。ホンネのところでは“原発ヤバシ”ということを言っているようなものです。 「原発は安全なものがあるのかないのか」「原子力という“高度な話”(そりゃ、機械工学的、核物理、物理学的、化学的な制御の方法を問題にしたら、素人にはさっぱりわからないでしょう。そんなこと、何回聞いたって今や意味ないのです。ダメなものはダメだと分かったのですから)」などと言っているうちは、原発の本当の意味も姿もつかめていないということです。簡単な話なのです。人間が制御できないものをもてあそび、自分たちは繁栄を謳歌し、そのつけは次世代に回せばいいという利己的な、刹那的な「生き方」(=破滅への道)をするのかどうかが問われているのです。 「希望は持つもの」──金曜日の官邸前抗議行動に「希望」を見る 「希望は『持つ』ものです。希望を持たなければ生きていけないでしょう」と医学博士で米マサチューセッツ工科大、放射線医学総合研究所主任研究官を経て高木学校メンバーになった崎山比早子さんは言います(下記)。 「いま、(福島のほかに)もう一つ原発で事故が起きたら、この狭い日本はもう終わりです。自分だけでなく子孫の代の生存をかけて止めなければ」と崎山さんも言います。 東電と市民に根本的な価値観の相違があるといいます。「私たちが考える原発事故のリスクは、放射線被害が出て住民の健康に害が及ぶことです。一方、東電の考えるリスクは『原発が長期停止してしまうこと』だったんです」。東電は、海水注入で圧力容器などが再び使用できなくなることをおそれる。なぜなら、「廃炉になった原発は固定資産でなくなり、負債として計上されて企業としての決算収支が一気に悪化する。だから廃炉は避けねばならない」からです。関心ごとは、命=健康ではなく、カネ=収支がどうなるかの方が問題だったのです。 崎山さんも言うように、原子力安全・保安院も原子力安全委員会など、「こんな人たちに私たちの命を握られてはたまりません」。 【冷温停止などという言葉を使ったところで、福島原発事故は数十年かけても終わらない。被災した原子炉が今後の地震に耐えられるかは分からない。露出した使用済み核燃料プールに竜巻が直撃したらどうなるか。たとえ原発が止まっても、使用済み核燃料の処理の問題はずっと残り、大地震はいつか必ず来る】 そこで問われるのは価値観の転換だといい、「命の価値観を取り戻さなければ」といいます。そういうことを直感的に知ったからこそ、毎週金曜日に多くの人々が官邸前に集まり抗議の声を挙げているのだと私も思いますし、私もそうです。 崎山さんは最後に言います。 【あの金曜日、「国会にデモの声が聞こえてくるようになって、この国の価値観は『変わる』と確信したんです」】 希望の火は消してはなりません。たとえ細くなっても持ち続けなければなりません。それが私たちの「責務」でもあるのですから。 ▶特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 元国会事故調委員・崎山比早子さん http://mainichi.jp/feature/news/20120914dde012040030000c.html 経済より、どう生きるかという「哲学」を問題にし始めているのです。 【政府は14日、エネルギー・環境会議を開き、「30年代の原発稼働ゼロ」目標を決定。国内で原発が営業発電を開始した1966年以来、46年間続いてきた原発依存型のエネルギー政策の転換を初めて宣言した。「脱原発依存」を求める世論に背中を押された形】 以下、いろいろと数字を列挙していますが、問題は、3.11後のフクシマを見てしまった人々は、経済より「哲学」を問題にし、「身の丈に合った生活」をと考えなおしたということです。今ここで、新たな道を選択できるのかが問われているのです。まさに「エコノミックアニマル」と揶揄された日本人が変われるかどうかなのです。 http://mainichi.jp/feature/news/20120915ddm010010154000c.html ▶「30年代に原発ゼロ」目標決定(その1) 再生エネ普及カギ ▶「30年代に原発ゼロ」目標決定(その2止) 新産業創出に期待 ▶「30年代、原発ゼロ」 デモ参加者「遅い」 官邸前、不信感あらわ 【政府の「30年代原発ゼロ」戦略を、金曜日恒例となった反原発行動の参加者たちはどう見たのか。東京・首相官邸前などで14日夜、感想を尋ねると「だまされるな」「今すぐ原発をなくせ」という答えが返ってきた】 ▶枝野大臣“着工済み原発建設継続” NHKTV9月15日 12時35分 これだから「30年代、原発ゼロ」、不信感あらわになるのです。 【枝野経済産業大臣は、14日決定した新しいエネルギー政策を説明するため青森県を訪れ、三村知事や地元に対し、青森県大間町で建設中の原子力発電所など、着工済みの原発について建設の継続を容認する考えを伝えました】 【使用済み核燃料の有効利用を図ることの重要性は変わらず、原子力の平和利用という責務を果たしながら再処理事業に取り組んでいきたい」と述べ、政策への理解を求めました】 原発ムラの連中には理解できるのかもしれませんが、普通は理解できません。 【「原子力発電を巡っては、すでに使用済み核燃料が大量に出ている事実や、青森の皆さんとの約束のように変えてはいけない事実もある。目をそむけてはいけない」】。確かにその通りなのですが、目をそむけてはいけないのは再処理を行うことではないのです。 ▶社説:原発ゼロ政策 実現への覚悟を持とう 【「脱原発」か「維持・推進」か。国論を二分した議論に、政府が決着をつけたものとして評価したい。国民的議論を踏まえた決定だ。安易な後戻りを許さず、将来への責任を果たすため、国民全体が実現への覚悟を持つ必要があるだろう】 その覚悟ができない連中を「守旧派」と呼びましょう。「グローバル化経済だ」などと太鼓を打ち鳴らし、笛を吹いていた連中が、これが時代の流れだなどと言って、抗うものを「時代遅れだ」などと揶揄していましたが、今、彼らがそう呼ばれる番になったということです。 ▶「30年代原発ゼロ」決定 最終案、原案から後退 法制化措置削除/もんじゅ将来像見えず 【政府が14日決定した新しいエネルギー・環境戦略は、原案段階からの修正が目立つ。 最大の変更点は、法制化措置が削除されたことだ。原案では新戦略の実現に向けて「革新的エネルギー・環境戦略推進法案(仮称)」を掲げ、「速やかに国会提出する」と明記していたが、最終案では丸ごと削除された。 一方、原発ゼロの実現方法の見直し規定では、エネルギー構成を「将来にわたって正確に見通すことはきわめて困難」との記述を追加し、「ゼロ目標を見直す可能性」(経済官庁幹部)を広げた。古川元久国家戦略担当相は会見で、建設中の2基や30年代に40年の運転制限に満たない原発について「今後検討する」と述べるなど、あいまいさも残っている。 高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の扱いも今後の課題だ。原案では放射性廃棄物減量化を目指す研究炉に転換し、研究終了後の廃炉を示唆したが、最終的に「研究炉への転換」の記述は姿を消した】 ▶「30年代原発ゼロ」決定 政府、推進路線を転換 再生エネ、年内に工程表 【高速増殖炉がなくなると、プルトニウムは一般の原発で使う(プルサーマル発電)しかなくなるが、使い切れずに余る可能性がある。プルトニウムは核兵器に転用できるため、米国などが懸念している。このため戦略は「国際機関や諸外国と緊密に協議し、連携」すると明記】 ▶クローズアップ2012:原発ゼロ決定 核燃処理、重い課題 【米側は、原発の燃料とする前提で日本がプルトニウムを取り出すことを認めた「日米原子力協定」に反し、これを認めれば、イランなどにプルトニウム生産の口実を与えてしまうとの懸念を持っている。東芝が米ウェスチングハウスを傘下に収めるなど日米の原発メーカーは密接に結びついており、日本が「原発ゼロ」を選択すれば、米国の原子力産業にも影響を与えかねない】 この答えがない問題をどうしても突き当たってしまします。 ▶解説:エネルギー・環境戦略「30年代原発ゼロ」決定 揺るがぬ政策築け 【野田佳彦首相が「解けなかった問題の答えが直ちに見つかるわけではない」と指摘したように、核燃サイクルを維持することとの矛盾や、使用済み核燃料の再処理で発生するプルトニウムの扱いなどは未決着のままだ。まだまだ知恵と工夫が必要】 ▶「30年代原発ゼロ」決定 産業界、反発強め 電力コスト増、国内空洞化懸念 【「(経済や日米関係への影響は)壊滅的だ」。経団連の米倉弘昌会長は14日、政府の新方針を激しい口調で批判し「もう一度原点に立ち返るべきだ」と再考を求めた。経団連は18日午後、経済同友会、日本商工会議所と異例の共同会見を開き、政府方針反対を訴える】そうですが、今度事故でも起きたら間違いなく「壊滅的」になるのはわが国です。そこには経済も何もないです。そして、原発が稼働している時から、「空洞化」は進んでいたのです。原発が動けば「空洞化」に歯止めがかかるなどという保証はなく、そのことは全く別問題なのです。 ▶「30年代原発ゼロ」決定 識者の話 こんな原発マフィアのスポークスマンを「識者」などと言ってデマ話を掲載するとは。 【近い将来停止する原発のために、電力会社は数千億円もの巨額な安全対策費用を調達できるだろうか】 とは、元経産省の官僚で、資源エネルギー庁資源燃料部政策課長まで務めたバリバリの原子力マフィアのスポークスマンである澤昭裕(1957年生まれ)、21世紀政策研究所研究主幹なる肩書でTVなどに出まくって、マヌーバーを振りまいている御仁です。 そう、ほったらかしにできないものをつくってしまったのです。その始末をどうつけるかが、まさに「21世紀の政策」で重要な位置を占めることになったのです。その研究をして下さい。 ▶「30年代、原発ゼロ」 「妥当」と「矛盾」交錯 「現実的でない」 立地自治体、被災地戸惑い 井戸川克隆双葉町長:「国民の受益や負担を議論しないまま原発の是非は語れないのではないか」と疑問符 新潟県柏崎市の会田洋市長:「国が決めた以上は賛否を言っても無意味。地元ヘの影響を最小に抑えるしかない」。 品田宏夫刈羽村長:「経済への影響や原油購入での交渉力低下、外圧などを解決する具体策が見えない」と疑問を呈した 青森県東通村の越善靖夫村長:「立地地域のこれまでの協力や思いが全く無視されており理解できない」と憤慨。 女川原発がある宮城県石巻市の亀山紘市長:「国として原発ゼロを目指すなら受け止めたい」 須田善明女川町長:「国の計画は現実性に欠ける。当面は原発が必要だ」と反論 中部電力浜岡原発のある静岡県御前崎市の石原茂雄市長:「稼働ゼロを掲げながら(使用済み核燃料の)再処理事業に取り組むのは矛盾している。現実を見つめ戦略を練ったか疑問だ」と 日本原子力発電東海第2原発を抱える茨城県東海村の村上達也村長は福島の事故後、反原発の姿勢を鮮明にしており「評価する」と一応の評価を与えた。それでも「原発ゼロ実現への保証が見えない。『核燃料サイクル維持』『原発は重要電源』では、骨抜きでやる気が見えない」と政府を厳しく批判 六ケ所村の古川健治村長:「再処理事業からの撤退という最悪の事態だけは回避でき、安心した。高く評価したい」と述べ、村内に受け入れている使用済み核燃料については「(全国の原発に送り返す)状況にはならない」と断言 福井県の西川知事らは、従来通りの主張を繰り返しただけです。 ▶30年代原発ゼロ:中部電「一定比率の原子力保持、重要」 【「原子力の選択肢をなくした場合、化石燃料費増大による国富流出や電気料金の上昇、地球温暖化問題などさまざまな面に甚大な影響を及ぼすことは避けられない」と】中部電力です。 冗談ではありません。原発があること、福島第一原発の事故でこれからどれだけの「国富流出」が起きるのかという問題です。現に、使い物にならなかったフランス製の汚染水『浄化装置』にいくら払ったのか。高レベルの放射性物質で汚染されてしまった国土をいくらとカウントするのか。そして、大問題の放射性廃棄物の処理にどのくらいかかるのか。いい加減なことを言うなと言いたい。 ▶話題:原発マネーの街 困惑不満/政府戦略30年代ゼロ/九州・山口 原発があるとこ自体が「死活問題」になっているということをどう理解させていくか。というより、そのことは百も承知で交付金という麻薬漬けになってしまった(させてしまった)「地方」をどうするかということが問題なのです。 ▶30年代原発ゼロ:被災し「未練ない」…福島・原発作業員 「被災したのに原発に食わせてもらっているのが情けない。家族と県外で暮らしたい。原発に未練はない」 そして今も原発に勤務している男性の【「事故が起これば一部の人にだけしわ寄せがいく仕組みは根源的に問題がある」と批判】、もっともです。 被災者の方々の正直な心情でしょう。 ▶福島第1原発事故 「指定廃棄物」最終処分場、不安の声 環境省、栃木全市町に経緯説明 【最終処分場は土中に埋め立てる構造。コンクリートで天井部分に蓋(ふた)をし粘土で覆った上で土壌を重ね、床と壁もコンクリートで二重に囲う。同省は「放射性物質が飛散する可能性は限りなくゼロになる」としている】 通常のごみ処理=埋め立てでさえ問題になるのに、放射性物質を含んだ「指定廃棄物」です。 | ||