原発通信 349号2012/11/30発行
【本号掲載投稿】 *ドイツ通信22号 「過去の失敗も認めて抱き締める愛(いと)しさが愛国心だ。 東京は都知事選もあり、昨日から選挙戦に突入ですが、12月は衆院選挙もあり、日本中選挙モードです。しかも、わが国領土を実力で守るだの、憲法改正だのと、キナ臭いにおいがしてきています。以前からも同様なフレーズが使われてきたこともありますが、今回ほど、目の前に迫ってきているという時はなかったと思います。 そんな折、毎日新聞11月29日付夕刊に、新右翼一水会顧問の鈴木邦男さんのインタビュー記事が掲載されていました(下記)。鈴木さん、石原慎太郎などは愛国主義の禁じ手である排外主義を煽るトンデモ連中だと断を下します。彼は言います。 【過去の失敗も認めて抱き締める愛(いと)しさが愛国心だ。本当の愛国者は、他国への愛情を併せ持っている。中国に生まれた人も、韓国に生まれた人も】と。その通りだと思います。 学生のころ、「新右翼一水会鈴木邦男」という名を聞いてから、何か心に引っ掛かる人としてこれまで、ずーと気にかけ、彼の本も読み、たまにはブログも見てきました。そんな鈴木さんをはじめて間近で見かけたのは、もう何十年も前になるのでしょうか、“ある時代”をともに過ごした世代の集まり=「同窓会」が開かれるというので出かけた時でした。入り口付近でテレビカメラ等に囲まれインタビューを受けている人がいるのです。誰かと見ると鈴木さんでした。その集まり、鈴木さんとは立ち位置が違う人たちの集まりだったもので、「どうして今日は来られたのですか」と聞かれ、鈴木さん、「関係ある人は誰でもということなので来ました」というのです。う~ん、関係あるといえばあるか…とその時は思った次第です。 そんな鈴木さん、その後たびたび会合や集会でお見かけするようになりました。鈴木さんが言われていること、共感するものあるものですから友人等に話すと、「あんたは、あっち(鈴木さんの方)が似合っているんじゃないの」などと言われることもありました。確かに、ご自宅もそんなに遠くはないので、ここは一升瓶をもって教えを乞いに行こうかなどと思ったこともありました(冗談ですよ)。 人は、その人の思いが顔に出ると私は思っています。私が見かけた鈴木さんの顔はいつも穏やかです。心優しいのでしょう。だから、先に引用したようなことをしっかりと言えるのだと思います。“向こう”に回したくない人の一人です。 「国民の質が変わらずに、政治の質だけ変わることはあり得ない」 今日は、もうお一人、先にご紹介した鈴木邦男さんと同じ毎日新聞の欄に、湯浅誠さんのインタビュー記事が続けてありましたので紹介します。(下記) 湯浅さんも、決して嘘をつくような顔をしていません。 ところで、昨夜のテレ朝「報道ステーション」です。朝日新聞の三浦某、都知事選にふれ、二つの争点があるというから、何を言うかと思って聞いていましたら、新銀行東京はいいとして、原発のことはなし、各候補が言わざるを得ない状況になっているというのにです。 出し遅れの証文か、「国民は原発ゼロを望んでいる!」野田首相 いまごろになって、「国民は原発ゼロを望んでいる!」などと、出し遅れの証文みたいに「党首討論」で野田首相、言っているそうです。ならば、俺の責任で再稼働すると言ったことはどうなんだといいたい。ここへきて「原発封印作戦」が功を奏していないとわかるや否や、こう言い始めています。しかし、本心から言っているのか、ハタと気付いた井の中の蛙だったのか。いずれにしてももっと早くから言っていれば、流れは(脱原発の流れだけではありません。民主党の流れも含めて)、大きく変わったはずですが、“歴史にはIf がない”との例え通り。「覆水盆に返らず」です。
さて、昨日の本通信で、三菱重工と日立が火力発電事業で事業統合ということを報告しました。その際、「原子力発電は統合の対象から除外という」時事通信の記事を報告しましたが、その後、除外どころか、いつやるか探りを入れている段階だということです(下記)。原子力マフィア、虎視眈々と再稼働を狙い、原発を世界中につくって大儲けしようと企んでいます。目が離せません。 そのことは、ドイツでも同様のようです(下記、ドイツ通信)。 ▶<原子力規制委>被ばく管理の指針策定へ 福島の格差解消 【中村佳代子委員(前日本アイソトープ協会主査)が29日、毎日新聞のインタビューで明らかにした。中村委員は「ある町では住民全員が(被ばく管理について)ケアされているのに、他の町ではそうなっていない実態がある。自治体間でこうした格差があってはならない」と指摘。「統一的なガイドラインを示すことで、福島県民の間の不公平感をなくすよう努力したい」と】 【規制委の田中俊一委員長も「各自治体でバラバラになっている状況を、国の責任で(統一的に)やるべきだ」と表明していた】 こちらも、目を離せば、何をしでかすかわかったものじゃありません。 ▶四国電力:値上げ方針を表明 原発停止で燃料費負担増え 電力シンジケートによる談合です。まあ、地域独占体制ですから、厳密な意味ではカルテルとは言いきれないのですが(選択の余地がありませんから)、シンジケート、マフィアたるゆえんです。リスク管理をきちんとできもしなかったという醜態を恥じらいもなく晒して恥じません。原子力1本に絞っていること自体、リスク管理ができていないということだったのです。 ▶原子力規制委:安全確保を東電社長に指示 トラブル相次ぎ 数行の記事ですので、よくわかりませんが、「こんなんじゃまずいよ。もっとうまくやれ」「ヘイ、ダンナ、承知しました」というところなのでしょう。 ▶大飯原発:運転差し止め求め提訴 京都地裁に1109人 【関西圏の住民を中心に1109人が29日、関電や国を相手取り、運転差し止めと原告1人当たり月1万円の慰謝料を求める訴訟を京都地裁に起こした】 【原告団を公募。呼びかけ人には、裁判官時代に北陸電力志賀原発2号機の運転差し止めを命じた井戸謙一弁護士(滋賀弁護士会)や安斎育郎・立命館大名誉教授らが名を連ねている】 ▶三菱重・日立:発電事業統合へ 競争力向上、狙うは「世界3強」 新興国、主戦場に ▶三菱重と日立:新興国に主戦場シフト 発電統合 【国内では成長が望めない中、「日本企業で消耗戦をするより、大きくなって海外の強豪と戦っていく」(三菱重工の大宮英明社長)との判断につながった】 【今夏ごろに両社の関係者が会談した際に「似たような考えを持っている」ことが分かり、統合の話が浮上したという】 【「日本企業で消耗戦をするより、大きくなって海外の強豪と戦っていく」(三菱重工の大宮英明社長)】 【日立の中西宏明社長も「原子力は息の長い取り組みが必要。多面的な発展を見極めたうえで、どういう形の協業がいいのか(検討を)進める」と】 それはそうでしょう。福島をみてしまったのですから。同病相憐れむだけならいいのですが、それでもって他国から搾り取り、儲けようなどと企んだということでしょう。 日立社長の「原子力は息の長い取り組みが必要」との言、意味深です。 ▶党首に聞く:2012衆院選 新党改革・舛添要一代表 【脱原発をやらなければならない。今の議論は、供給側の原発に代わるエネルギーの話ばかりで、消費生活の改革の話をしていない。家庭の電球四つのうち一つを取れば原発はいらない。原発推進派の論拠は温暖化対策だが、自転車の利用拡大で二酸化炭素は削減できる】【ポピュリズムをあおる形で政治をしてはいけない】 好きではない政治家の一人ですが、「今の議論は、供給側の原発に代わるエネルギーの話ばかり」との指摘、この件に関しては正論です。 ▶発信箱:風を読む力=青野由利 【嘉田由紀子・滋賀県知事の新党結成に、二つの風を感じた。ひとつは行き詰まり感のあった政界に吹き込む風。背景はいろいろだとしても、「選びたい政党がない」という気分をくんで「卒原発」を旗印に結党したセンスはなかなかのもの。風の行方を読もうと右往左往する政治模様も興味深い】 【原発事故が再び起きた時、住民に寄り添えるのは国より地元。住民を守る真剣さも自治体が勝るような気がする。とすれば、風を読む力は地元にこそ。国には徹底して基本情報を公開してもらい、自治体が活用できるようにする】 ▶クローズアップ2012:維新公約、鈍る切れ味 合流優先のツケ 以下は、徹チャンの醜い言い訳です。 「2030年代ゼロというのはまだ僕は気持ちとしては捨ててない。でもプランができていない。実行できるかが問題だ」 * 【橋下氏は嘉田氏の「10年後の全原発廃炉」方針を「言うだけでやれなければ今まで(の民主党政権)と同じになる」と攻撃。あげくには「原発政策で政党間の違いなんか全然ない。自民党も民主党も言ってることは皆同じ」とまで言い切り、争点にはならないと主張した。 しかし、そもそも「30年代ゼロ」の年限目標にこだわっていたのは橋下氏自身だ。10月24日には「30年代ゼロの方向性を目指すべきだ」と宣言。同26日には「脱原発のメカニズムだけでは、ずっと原発が続くこともある」と述べ、目標年限の必要性も強調していた】 今の政治家(もどきも含めて)は幸か不幸か、何をいつ、どのようにしゃべったかということが、新聞に掲載された記事(当然編集されている)ぐらいしかなかった時代から、さまざまなメディアがそれぞれに記録しています。テキストとしてだけではなく、動画としても。「あの時はこう言っていたのじゃないの…」、これは橋下、石原のようなものにとっては痛いかもしれません。繰り返し、料金もなしで見られるのですから。 ▶政治にツイート:/4 「一水会」顧問・鈴木邦男さん 【約40年間「右翼」として活動しているが、最近は言葉が軽くなってきている。「愛国心」という言葉も、その意味がゆがめられ、国内の問題から国民の目をそらすために利用されているように思う。 本来、愛国心という言葉は「国を愛する気持ちを大切にしていきたい」という思いを表していたはずだ。日本は過去にアジアの国に対して弁解できないことをした。過去の失敗も認めて抱き締める愛(いと)しさが愛国心だ。 本当の愛国者は、他国への愛情を併せ持っている。中国に生まれた人も、韓国に生まれた人も、自分たちの国を愛していることを理解しなければならない。それがないと、どの国の愛国心も暴走してしまう】 【他国をただ敵視する排外主義と愛国心は似て非なるものだ】 【弱腰とか売国奴と言われるのが怖いから、政治家は安全圏から出ないまま勇ましいことを言っている。誰の声が大きいか競っているだけでは、何も前に進まない】 と言って、石原やイミョンバク韓国大統領を「互いの排外主義をあおる禁じ手」と批判します。 ▶政治にツイート:/4 元内閣府参与・湯浅誠さん 【他の誰かなら」という問題ではない。原発も震災復興も財政も、極めて難解で複雑な問題だ。その事実を社会全体で受け止め、知恵を出し合わなければならない】 【しかし、不都合な事実に目を背け、幻想にすがろうとする現象が起きている。第三極への期待感がその現れだ。「他の誰か」ができる根拠は何もない。いずれ幻滅に終わる。この幻想と幻滅のサイクルから抜け出さなければ、少子高齢化など直面する課題を解決できない】 【国民の質が変わらずに、政治の質だけ変わることはあり得ない。3年間の教訓を踏まえ、将来、どういった社会を目指すのか一人一人が考えなければならない】 ¡No pasarán! 東京では、東京都知事選、衆院選と12月は選挙の月になります。中身もなくただ勇ましく、「声の大きさを競っている」ような、それが自信であるかのような錯覚をもたらすだけの日本維新の連中、彼らは第三極などではなく、明確な「第五列」として私たちの前に立ちふさがっています。彼らを通してはなりません! ¡No pasarán!(やつらを通すな!) ▶社説:維新の会公約 中身が大ざっぱ過ぎる 【自主憲法を掲げる一方で、政策集に列記されたのは首相公選制など橋下氏が重視する統治機構改革が中心だ。やはり両氏は「なぜ改憲か」のスタート地点が違うのではないか】 【強烈なキャラクターで押しまくるだけではなく、政権の姿や政策をていねいに語ってほしい】 当然でしょう。ただ、相手(橋下)は、政策なんて関係ないなどと言っているのですから、そもそもないものねだりでしょう。そのへんも突いてみたらと。 ▶都知事選:原発政策アピール合戦 新銀行、五輪で温度差 嘉田さんによる新党立ち上げが岐路になった感があります。それまでは、福島の事故なんてもう昔のことふうな雰囲気が漂い、争点ずらしが優勢でしたから。 ▶衆院選:動画サイト舞台に党首討論会 首相、増税理解求める 安倍氏「デフレでは凍結」 安倍晋三の落ち着きなく、油紙に火がついたような喋り、そのうち(いやもう出ていますが)自ら掘った落とし穴にはまることでしょう。 第22回 ドイツから学ぶもの―― ご無沙汰しています。皆さんの健闘振りを、「原発通信」で頼もしく読ませてもらっています。これからの日本の選挙戦は、原発推進派(マフィア)と脱原発派(民主主義)の一騎打ちになってきた感がします。 私が思うに、ドイツの脱原発も結局は市民の結集力がメルケル政府を押し切ったものだと考えています。フクシマ原発事故を受けて、現政権(CDU-FDP連立)が、以降の選挙に勝てないことを見せつけられ、ドタバタに政策を転換したものです。それ以上でも以下でもありません。 ドイツから学ぶといえば、この市民の脱原発の結束力と闘争力を学ぶべきであって、政府からは何も学ぶべきものはないように思っています。 実際、その政策転換以降、脱原発から自然エネルギーへの転換過程でいろいろな問題が噴出してきていますが、例えば、最終処分場、電気料金値上げ、高架線の建設等々、これなどはメルケル政府がなんの準備も、長期的な政策も持っていなかったことを暴露する結果になっています。 その直前までは、「原発は自然エネルギー転換に向けた過渡的テクノロジー」と、ここでもいろいろ新しい言葉を並べて、原発稼動時期を延長したはずです。 私見ですが、メルケルは原発問題と同様、現在のギリシャ国家―EU危機でも見られるように、どこに本当の政策方針があるのかまったくつかみにくいのですが、よくよく手の内を見れば、旧東ドイツ・SEDの権力維持の手法(スターリン主義)を引き継いでいると思われます。党内の政敵は排除し、党内外の政治対立には直接関与せず、最終的な意見調整をして、自己の安定を図ると言うものです。そこには政治家としての指導性、政策能力はありません。政権維持に関しては実に長けていると言えるでしょう。 こうした政治には、市民の直接行動が最も有効だと思うのです。それと同時に、そのままでは政権が危なくなること、政治家としての生命が絶たれることを、思い知らせることですが、それをドイツの市民は実現しました。日本もこうした状況を迎えているように思われます。 もう一点、ではドイツの原発産業の現状はどうかということですが、市民から強制された脱原発の方向性をもう止められなくなっています。そこで、企業としての生き残りを考えざるを得なくなっているのが現状です。市民が政治を決定すれば、企業はそれに抵抗できないという一つの好事例ですから、このへんの事情を最後に報告しておきます。
フランスの原発企業Areva(アレバ)の生き残り戦略です。世界で約5万人、ドイツで役6千人の従業員を有する企業ですが、今後は三つの方向性で、企業戦略を立てています。 ①原発の輸出。同時に稼働中原発の保安・管理業務、②原発の解体作業。ドイツでの解体作業は2040年までかかると言われていますから、儲かる仕事になります、③2009年以降建設中の風力発電等、自然代替エネルギーへのシフト転換。(「FR」紙2012年11月13日付より」
どちらに転んでもタダでは起きないという企業の一例ですが、彼らとてしっかりと足枷されているのがわかります。それが市民の力であり、政治だろうと思います。では、闘争疲れしないようにして、もう少し頑張りましょう。 ▼寄稿 「第五列」の日本維新の会が自主憲法だと叫び、安倍晋三は改憲だなどと吠えています。そんな時、安倍晋三の憲法改正がいかに危険で、デタラメな話なのかを展開した一文が寄せられましたので以下、紹介します。 自民党憲法改正草案の問題点 時代錯誤の草案批判 2012年11月29日 T・M 今年の4月27日に自民党は改憲草案を作成し、今回の総選挙(12月16日投開票)の選挙公約に掲げ、しかも、最後の最後にさりげなく入れているが、実は大変な改憲草案である。結論から言えば、憲法と言う法律自体が良くわかっていない人たちによって作られている。そこで、今年の4月27日に公表された改憲草案の問題点を、特に重要な問題点に限って検討する。 第一条 (天皇) 第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 (皇位の継承) 第二条 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
批判: 元首と言う地位は、民主社会においては、国民によって選挙で選ばれなければならない地位である。ヒトラーでさえ1934年の国民投票で認められたのである。 憲法制定当時、アメリカが、天皇を「日本国の象徴」としたのは、「万世一系」?の世襲である天皇を「選挙」あるいは「国民投票」抜きに認めるために作った方便であった。それをさらに進めて「元首」として「世襲」を認めるのは国民主権の原理に反する。
第九条 (国防軍) 第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。 2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。 3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。 4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。 5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を<犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、<被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない
批判: 百歩譲って、国防軍を認めたとしても、この条文には、基本的に二つの危険な問題点が明記されている。 一つは、集団的自衛権の拡大解釈と治安出動である。日米間の集団的自衛権とは、一方の国が攻撃された場合に同盟国への攻撃として防衛にあたると言うあたりまえのことであるが、どうもこの本条3を見る限り、もっと広い概念をそれも国連とも異なる、米軍との共同作戦行動を意図しているような「国際協調」と言ったあいまいな表現が使われている。これは、国連決議をも伴わないで、後に批判された米英のイラク進攻であった「不朽の自由作戦」の様なものに参加できることをイメージしたのではないか。 つまり、当時は、海上給油であったが、地上戦・陸戦にも参加できるようにとの思い入れのある表現としか思えない。これは、明らかに「国際紛争を解決する手段として用いない」とする、本条本文と矛盾するし、そもそも国連憲章によれば、国際紛争は「平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」とした事に抵触する。更にこの条文には、「公の秩序を維持し」との表現があるが、これは、国内の治安出動に国防軍を使えることになり、事実上、国防軍による戒厳令が可能となるが、多分それもイメージしているのであれば、やはり、国民主権に反する。何となれば、主権者に銃を向けることは民主国家の破壊になるからである。 次に本条5の審判所の設置である。これは端的にいて、軍法会議の復活を意味する。法形式上は、裁判の前置主義を謳っているようにしているが、他の審判所である、国税不服審判所、や海難審判所は、納税者に対して国税局や財務省の審判官が、あるいは、海難事故の船長や船会社に対して国土交通省の審判官が審判するものであり、利害が対立、あるいは、中立の立場の審判官が審判するが、そこで、解決しないものは、必ず地方裁判所に係ることになる。 しかし、本条5の審判所は基本的に罪を犯した軍人及びそれに準ずる公務員をその上官たる国防省の審判官が審判することになるから、これは身内による審判と言わざるを得ない。しかも、「被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。」[i]として審判所だけで結審する事を原則として予定している表現になっている。これは、国防軍に、事実上の自治権=治外法権を認めるようなもので、軍国主義の芽生える根拠条文となるのではないか。ちなみに、ドイツ連邦軍では、軍法会議を廃止して、全て裁判所で裁判することにしている。これが、民主国家の流れである。
(国民の責務) 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
批判:人権の不断の努力と、公共の福祉への責任が、現行憲法の条文の趣旨であるが、公の秩序(公安)に人権を従わせる言われはない。これは、明らかに近代人権宣言への挑戦である。
(家族、婚姻等に関する基本原則) 第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
批判:この条文は、戦前の「忠孝一致」の思想につなげる意図を持った悪質な条文である。憲法が個人の倫理観に踏み込むことは間違いである。
(内閣の構成及び国会に対する責任) 第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長である内閣総理大臣及びその他の国務大臣で構成する。 2 内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。 3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う
批判:現憲法では、「文民でなければならない。」となっているが、これは、制定時に「再軍備を許容する解釈が生じたと考えた極東委員会の要請を受け、GHQが追加を申し入れた文言に由来する。」[ii]もので、軍に対する文民統制の重要性から来たものであり、外すことが出来ない文言である。しかし、この草案の起案者は、戦前の陸海軍大臣の現役武官制の現役さえ外せば、良いと安易に考え、退役軍人に含みを持たせているが、これは重大な問題であり、再軍備後の条文であれば、なおさらに「文民」を残さなければ意味が無い条文である。この点にも軍国主義復活の色が垣間見えるのである。
(憲法尊重擁護義務) 第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。 2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。
批判:これは、もはや、あきれてものが言えない条文である。憲法の沿革は、古くはイギリスのマグナカルタ(大憲章1215年)に代表されように王権を議会の作った法に従わせる法典がその出発点であり、その後は、国民が国家権力を制限させる為に作った法典である。 理由は至って単純である、国民は、自分たちの議会で作った法律により規制され、罪を犯せば裁判にかけられ罰せられるからである。改めて憲法で規制する必要はないのである。しかし、国家権力や、戦前の天皇の下に行われた権力行為を規制するものは憲法以外ないのである。したがって憲法は唯一国民が国家に対して規制を与え自らが主権者としての保障をとらなければならない法典なのである。 にもかかわらず、本条本文では、真逆に憲法が国民に遵守義務を強いているのは本末転倒であり憲法を理解していない、無知無学な輩の作った条文である。しかも、現行憲法99条で明記してある、「天皇又は摂政」を外している。これは、驚天動地である。 第一条で天皇を元首にしておきながら、遵守義務から外すとは、天皇をバカにしているか[iii]、さもなければ、戦前のように天皇の「無答責」[iv]を復活させることを狙っている。とすれば、既述の軍法会議の復活のあいまって、国防軍と天皇制そして靖国神社が一体となって見事な日本型ファシズム体制が完成することになる。 [注記]----------------------------------------------------- [i] 裁判所での裁判を、単に被告人の権利行使としている点に問題がある。これは、人権規定(現行32条)からの援用である。その点はむしろ当然であって、そもそも、犯罪に対する公訴権が、軍法会議(審判所)によれば防衛省と言う司法とは関係のない一省庁に私物化されることになる。したがって裁判所に上訴しなければ、常に本草案76条の二項により禁止されている特別裁判所の設置と実質同じ結果となり自己矛盾である。 [ii] 新基本法コンメンタール「憲法」日本評論社 371頁 [iii] 立憲君主制の憲法でも議会が憲法典を作成して、国王に献上し、それに従って統治するとした法である。いわば、国王が国民に約束した法であり、その法典から天皇を外すのは論外である。 [iv] 責任を一切負わないと言う意味。戦前の大日本帝国憲法では、天皇は責任を負わず、官吏も天皇の官吏であるから、天皇には責任を負うが、臣民たる国民には「無答責」であった。 | ||