原発通信 125号2011/12/28発行
●南海トラフ、2倍に拡大 思いあがってはいけないということを思い知ったということでしょう。未知なるものに謙虚でありたいと思います。そして、想像もしていないことが起きるのだということを肝に命ずるということです。 ●内橋克人さんの警告 世の中には、思わず「正座して」聞いてしまう人が何人かいるのではないでしょうか。少なくとも、私には何人かいます。その一人が経済評論家の内橋克人氏です。いつも物静かに決して声を荒立てることもなく、冷静に現状を分析してみせてくれます。先日、12月18日NHK BSプレミアム「100年インタビュー」です。 【内橋は一貫して「弱者」の視点から経済を見据えてきた。日本が経済成長を続ける時期には、大量消費に支えられた危うさを指摘し、構造改革に突き進む時期には、弱者に社会的費用を押し付けようとしていると批判してきた。深い洞察と倫理感に裏付けられた鋭い論述で、絶えず格差を生み出すワイルドな資本主義に警鐘を鳴らし続けてきたのだ。 http://www.nhk.or.jp/hyakunen-i/guest/111218.html 同番組で、内橋さんは、一貫して「人間を主語にした経済(学)」をと説いていました。市場ではなく、人間が決める=人間が主語の経済をというのです。グローバル化の名もと展開するマネーの凶暴さと、その根を論じていました。経済問題の次に、福島第一原発事故をめぐる日本社会の問題点を論じ、「頂点同調主義」=“皆さんが同意”、異端の排除という点を日本人は改めない限り100年後も同じだろうというのです。原発立地、原子力ムラ=原子力マフィアの連中、事故後の東電、政府の対応、野田の「事故収束宣言」後の自治体首長の発言などまさしくそうです。そして、この頂点同調主義によってもたらされた「合意」など偽装と喝破するのです。その点については、本通信123号に書いた藤垣東大教授の「パターナリズム」を補完するものでしょう。そして、最後に、経済問題の本ばかりではなく、最後は「文学」を書きたいというのです。どこまでも「人とは何か」を追及、なぜそうなったのかと思考する内橋さんなのでしょう。 インタビューが終わって最後に一人、視聴者へメッセージを言うのがこの番組の作りなのですが、内橋さん、静かに自分の年を思ってか「遺言」のように静かに話しかけ始めました。しゃべり始めてすぐ、内橋さん、声を詰まらせ無言の場面が結構長く続くのです。本当にどこまでも日々の日常のなかに生活する人々の目線で見るというスタンスをもち続けている人なのだと思いました。けっして希望は捨てないものの見方、学ばなければと思います。それに比べ、以前、本通信で書いた同番組での立花隆です。同様に番組のラスト、「100年後の人間が見たら現代の人間の考えなんてこんなものですよ」と切り捨てるように言い切った発言との違いに言葉なく、ただ場面を見つめているだけでした。 ●原発事故調中間報告 昨夜のNHKスペシャル「原発事故 謎は解明されたのか」を見ました。事故調委員長の畑村洋太郎氏と柳田邦男氏が出ており、メルトダウンはなぜ起きたのか、SPEEDIはなぜ公表されなかったのかなどについて解説していました。司会のアナウンサーの「なぜ考えていなかったのですか」という言葉が何回も出るほどの思考停止した、言われたたことしかやらない(しない)連中が、ただ人数だけ集まってあの原発を動かしていたということです。 昨日も書きましたが、彼らが「仕事」をしていると思うから「なぜ?」という疑問が出てくるのです。そして、「そこから先」が問題なのです。 12月12日の毎日新聞社説です。「原子力安全・保安院も全く役に立たなかった。報告は厳しく批判しているが、では、これらの組織がなぜ、そういう集団になってしまったのか。歴史的背景や政府と東電のもたれあい、集団心理まで踏み込んだ検証が必要だ」と言っています。要は、つくった(不十分だらけだったと中間報告は言っています)システムなりを使う、動かすのは当たり前ですが人間だということです。「その人間のことを」問題にしないとなんの問題解決にもならないでしょう。畑村氏、その辺について掘り下げると言っていましたので、本報告に反映してほしいものです。 以前、虫歯予防にフッ素を使うことに警鐘を鳴らした高橋晄正さんと仕事をしたときのことを思い出します。高橋さんが言うには、今の研究者は、計算の結果だけ(計算機での)を見ている。統計などもそうなんだが、出てきた数字をじっと見ていると、変だと思うときがあるんだ。その変だと思わない研究者が増えてきているから、結果だけで(数字)、あっているだの間違えているだのと言っている。なんか変だなあと感じる、そういう感性が非常に磨滅しているというようなことを言われていたことを思い出します。今回の原発事故で感じることは、そうした、うん?ということを思わない、感じない研究者・技術者がいかに多いかということです。言われたこと以外はまさに考えないことにする、無視するという姿勢(?)がいったいどうしてつくられていったのかという、教育という点についても検証しないと同じことが繰り返されるのではないでしょうか。 しかし、それにしても想像力のない連中というか、言われたところの範囲でしかものを考えないというか、信じられません。もともと想像力のない人間に「想定外」などという言葉を使わせてはなりません。オフサイトセンターのことで、たかだか5キロしか離れていないところにつくり、エアフィルターも装備していなかったため、室内もこう占領下になり、まったく使い物にならなかったといいます。そもそも地震が起きたら、建物が倒れないか、道路はどうかなど基本的なことがすぐに思い浮かぶだろうと思うのに、そんなことすら「想定外」だというのですが、想像力欠乏症(いや、足らないのではなく、まったくないのだから何と言ったらいいのでしょうか)の連中にこんな危険な、危ない、事が起きたら(もう起ってしまいましたが)幾世代にわたって負の遺産を残してしまい、申し訳が立たないことになってしまうようなものを、あてがってはダメだということです。 そんな連中が、あろうことか六ケ所村の再処理工場を年明けにも動かすというのです。 ●霞が関村の「減原発」論 毎日新聞12月26日付「風知草」(山田孝男)から。霞が関でこんな見立てを聞いたといいます。 「電力供給の原子力依存率は30%(3.11前の水準)でいい。それでも従来の目標(50%)より低いから『減原発』だ。もんじゅはやめてもいいが、再処理工場は守る。…MOXに加工して英仏並みに輸出していく」と。まあ、よくも思いつくものです、こういう人たちをわが国民は「優秀」と言っていたのです。 ●マフィアの一員、森口が文科事務次官に 文科事務次官に森口泰孝という原子力マフィアの一員が1月6日付でなるといいます。もんじゅ推進派として発言を繰り返していた男だそうです。中川文科相の発言が振るっています。「原発の中身をよく知っているだけに技術ベースも含めた判断ができると思っている」と言ったといいます。そりゃ、よく知っているでしょう。どうごまかせばということも。野田政権の本性が出てきたということです。 ●「歴史の法廷に胸を張って立てるよう」な記事を――原発にも 毎日新聞12月25日付の「編集局から」というなかに、大阪本社編集局事象の署名で「橋下改革ってなんだ」の記事。橋下のあぶなかっしさなどの中身なのですが、最後に「『あの時、新聞は何を伝えたのか』――。後世、歴史の法廷に胸を張って立てるよう、橋下維新改革の行方を注意深く見つめていきます」とありました。そう、今回の福島第一原発事故や原子力マフィアの連中の動向についても、「歴史の法廷に胸を張って立てるよう」がんばってもらいたいものです。さて、…。 ●西部邁の「日本の劣化の正体」 毎日新聞「異論反論」に西部邁が書いています(12月21日)。今時、「日本の劣化」という言葉が頻繁に耳に触るとして一文を書いています。戦後日本に活力を与えてきたのは「近代化」の悪なく追及であり、それは「自由・平等・博愛・合理という(フランス革命以来の)四幅対の理想であると。まあ、そのあと、バランスのいいという注はつけています。そして、「近代化が急進的改革の過程として推し進められるとき、国民の道義と国家の規範が傷つけられると同時に、各界における指導力が弱化させられる」といい、今、「平成期」がそうだというのですが、どうしてそうなるのか、私の頭では理解できません。でも、西部は「日本の劣化」と言いますが、私が耳にしているのは「日本人の劣化」(香山リカはじめ)です。なるほど、西部は国家から人間を見る人ですからねと言えばいいか。 ▼年末にあたって 私(たち)の課題、原発のない社会をいかに早く次世代へ手渡すか 今年3月、春はもうそこまでというときに突然起こった東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故。圧倒的な現実の前に言葉を失いました。そして、お前はこれまで一体何をしてきたのだと自問自答する毎日でした。そんなとき、高校時代からの友人であるT君から原発を止めなければ、なくさなければとの連絡を受け、集会に参加していったのが始まりでした。 話をする中で、原発についてあまりにも知らな過ぎたこと、70年代の反原発闘争が確かにあったのですが、それからあまりにも遠い距離をおいてしまっていた自分を恥じるとともに、今一体何が起きているのか、どうなっているのかということ、お互いもっている情報を出し合い共有していこうということから始めた本通信です。 そして、その際、確認したことは、本通信呼び掛け文に書いた通り、決して『知っているということの「自慢」をしないこと、知らないということで批判しないということでした。1970年代から80年代にわたって凄惨な内ゲバというものが繰り返されましたが、要は、知識の“自慢のしあい”がもとにあったのではないかと思うのです。たまたま知っていたかどうかから始まった「議論」が、気がついたらとんでもないところまで行ってしまったということだと、今、振り返って思うのです。したがって、そのことについては極力排除していくことを基本としました。 途中、報道されているだけの情報でも相当な数であり、あらためて「メディアリテラシー」が問われました。そのなかで、ひょこっと書かれていることが重要だったりすることがたびたびでした。これは、どんな時でもそうですが、重要なこと=今回の事故でいえば政府・東電から見れば都合の悪い「真実」ということですが=は保険の定款と同じで見にくく、小さな字でというセオリー通りです。 野田首相は、福島第一原発事故は、原子炉が「冷温停止状態」になり、放射性物質の飛散の少なくなったので事故は収束したと「宣言」しましたが、誰も信じていません。まだまだ、事故後は続きます。そして、私たちの子や孫世代(いやそれ以上ですが)にまで負の遺産を押し付けてしまうことになってしまいました。 私たちにできること、原発に頼らない、原発を止め、原発のない社会をいかに早く次世代へ手渡すことができるのかということに力を注いでいきたいと思います。原発関係の情報が日々減っているのを感じます。年が明ければ、「年も改まり」とまるで何事もなかったかのように、「まだ原発のこと言っているの」などと言う「空気」が蔓延していないことを願わずにはいられません。そして、本通信が脱原発社会へわずかのものですが一助になれればと思っています。というより、いったい3.11以後何があったのかを忘れないために。 希望が持てる時代にしなければなりません。来年もよろしくお願いいたします。 | ||