原発通信 126号2011/12/31発行
2月22日、ニュージーランド・クライストチャーチ市で大地震が起き、古いビルが倒壊、日本人留学生が多くなくなったというニュースを聞いた時、まだ「向こうの出来事」のように聞き、向こうは建築の仕方が違うから耐震も緩いためだろうなどと思っていました。しかし、それから3週間後、東日本がM9の巨大地震に襲われるとは思いませんでした。わたしは、その時、仕事で机に向かっていました。大きな揺れに外に飛び出し、驚きつつもしばらくするとまた仕事をしていました。そしてまた…。でもまだ、大きな地震だな、昔の新潟地震や十勝沖地震のようだという感じでした。のんきにやらなければならない仕事をしていたのです。それからしばらくしてからです。外で話す声を聞き、大地震で大変なことが起きていると感じたのは。 そして、夜。NHKTVから、福島第一原発で事故がという一報。驚きとともにチェルノブイリ事故のことが頭をよぎりました。「ただちに身体に影響があるわけではありません」から始まり、突然の原発半径3キロから始まって、10キロ、20キロ、30キロと拡大。その圏内の住民に避難命令が出たと(アメリカは80キロ圏を設定)。それ以後はご存じの通りの展開です。 あまりのというより、こちらが「想定外」の原子力村の連中のいい加減さと、無責任さを知りました。子どもの言い訳と同じ、言ってくれなかった、あんたらも同じ、出来なかったじゃなかというガキの喧嘩と同レベルかと思うと情けなくなります。指示待ち人間が多くなってきたという声を聞くようになったのはいつごろからでしょうか。まさにそうした類の人間が大量に「つくられ」、社会に出、「余計なことはせず」、全体像など知らなくていい「言われたことだけを」やれと。その結果が今回の事故を引き起こしたとも言えなくもないと思います。それにつけても、よくそういうことが言えると、どう言っていいのか言葉が見つかりません。 ●東電、政府や安全委員会が何も言わなかったんだから責任ない 政府事故調の中間報告が出ましたが、その後、27日に東電は反論をしたといいます。毎日新聞12月28日付です。それによると、松本純一部長代理がまた出てきて、想定津波の試算が出ていたことについて「試算は十分な科学的合理性がなかった」といい、過酷事故に対する対策についても「国や(内閣府)原子力安全委員会も不十分と言わなかった)と述べたといいます。要は、資産など無視するに値するようなものだった、また言うとおりにやっていたんだから問題ないと開き直ったということです。いまさらですが、謙虚とか、真摯などという言葉は、東京電力の門の前では立ち止まるようです。 翌29日の毎日新聞「記者の目」で毎日の記者も書いています。山崎雅男東電副社長の「国に確認しながら一体となって構築してきた」「想定外の津波だったが、対応できなかったのは国の対策に限界があったからだ」と言ったことに対し、言い訳に聞こえると言い切る。 確かに「国と一体となって」やってきた不始末が今回です。安全・保安院も役立たずだったと中間報告書でも言っているそうです。そうなら、なおさら、記者も言っていますが、こんな連中が原発を運転する資格はないということです。 ●「中間貯蔵施設」、双葉郡に 環境省、放射性物質で汚染されたものの「中間貯蔵施設」が双葉郡に決めたそうです。感情抜きに言えば、現在のところ、そこ以外になないということです。環境省の高山智司政務官、絶対に「政権交代があっても貯蔵期間30年以内」と約束したそうです。はっきりしていることは、こうした決定をした連中、30年後には生きていないかもしれないし、たとえ(たぶんそうなるでしょう)反故にしたところで、30年後は現役を離れ、責任を追及されることはないということです。 ●佐藤福島県知事、廃炉を求める 佐藤知事、27日に県庁で西沢東電社長と会い、会談で福島県内にある全原発(福島第一、第二原発)10基の廃炉を求めたということです。西沢東電社長は会談後、報道陣の取材を拒否し、帰って行ったということです。 ●南相馬市、来年度もコメの作付けを断念する見通し 今年度に続き、来年度も、「主食用のコメの作付は難しい」との判断から、作付けを見送る見通しとのことです。コメ農家のことを思うと、東電、歴代政府、薄ら笑いを浮かべる原子力マフィアの連中に怒りが湧いてきます。 ●放射線量測定、「正月休み」に入るとのこと 文科省が測定している「大気中の環境放射線量」ですが、12月29日の毎日新聞によると、測定にあたる関係職員が年末年始の休暇に入るので休止すると発表したとのことです。彼らにしてみれば、放射線量など大した意味はないということです。でも、あとで、データが途切れているので正確には言えないなどとは言わないでしょうね。 ●福島第一1号炉、1991年に非常用電源室浸水事故 毎日新聞12月30日付によると、1991年10月30日に1号機タービン建屋で冷却用海水配管から水漏れを起こし、地下1階にある非常用電源の部屋が浸水していたことが明らかに。しかし、その後、浸水の危険性があったのにもかかわらず、何もしてこなかったといいます。 ●東電、1~3号機老朽化問題なしだと 毎日新聞12月29日付、28日、東電は各原子炉内部の設備について大震災の影響の分析を公表したとのこと。例によって、すべて大丈夫、「経年劣化(老朽化)による健全性への影響はなかったと判断した」といいます。圧力容器なども「計算」してのことといいます。そう、あくまで、計算しての話、当たり前ですが、実際に目視したり、ハンマーでたたいたりして(本当にそうするのかどうか知りませんが)の話ではなく、計算機をたたいて、大丈夫と言うだけの話です。 ●警告をし続けていた共産党の吉井英勝さん 電源喪失の可能性を指摘していた吉井氏、震災後に国会内で会った自民党の二階博元元経産相、「あなたの言った通りになりました。きちんと対策を取るべきだった」と言ったそうです。また、吉井さん、事故の背景にあるのは政官財と労働組合などの「原発利益共同体と指摘したそうです。毎日新聞12月29日付 ●鎌田實さん、歌をお忘れになったのでは 本通信でも何回か登場しています、医師の鎌田實さんです。福島現地の飛び、さまざまな活動をされていることには頭が下がります。でもです。毎日新聞12月31日付「さあこれからだ」の鎌田さんの連載に「新しい希望を築こう」と題した長い詩が掲載されています。 「3月11日、日本は 大きく変わってしまった。」との書き出しで始まります。奪われてしまった多くの命に涙し、悲しみをあらわします。被災された人々、子どもたちに鎌田さんの優しいまなざしがあります。そして、「復旧でもなく、復興でもなく 明るい創造。未来をつくろう。」と呼びかけます。そのまなざしは国内だけにとどまりません。アラブの春に、グローバリズムという名の金融資本主義に異議を唱え、ニヒリズムに負けるな、「僕たちは新しい希望を 築いていく。」と決意し、来年は「よい年でありますように!」と結んでいます。心優しい鎌田さんにそうだと同意しつつも、でもです。 チェルノブイリでは台地が汚れ、子どもたちがそこで育った牛たちのミルクを飲んで甲状腺がんになったと悔しさを代弁します。でもです。その後に、福島第一原発事故によって放射線を浴びた福島(のみならず、たぶん)の子供たち、「牛たち」への思いを「怒りと悲しみを ごちゃごちゃに背負いながら」とはいうのですが、なぜ、そうなってしまったのだという「原因追及」がないのです。事故を起こした東京電力、国への怒りはないのです。「怒りと悲しみ」と言っているじゃないかと? でも東電も政府も出てきません。あの事故は台風と同じだったのでしょうか。避けて通れない自然の驚異だったのでしょうか。 この長い詩を読み終えて、でも…とやっぱり思ってしまうのです。 ●年が明けたら、消費税 今の世の中の空気、まるで消費税ひとつに染まってしまうのではとの勢いです。福島での原発事故なんて、何も終わっていないのに、ああ、去年の3月にそんなことがありましたねなどとならないかと危惧します。これを書き終える今、あの長妻昭が年末のあいさつに車で、「今年お世話になりました」と回ってきました。原発事故などなかったとばかりに…。 来年も頑張りましょう!原発のない社会をめざし! | ||